《恋という火》

寛平御時きさいの宮の歌合のうた 紀とものり

よひのまもはかなくみゆるなつむしにまよひまされるこひもするかな (561)

宵の間も儚く見ゆる夏虫に迷ひ勝れる恋もするかな

「寛平御時の后の宮の歌合の歌 紀友則
宵の間も儚く見える夏虫に迷いは負けない恋もすることだなあ。」

「宵の間も儚く見える夏虫」は、恋に迷う作者の見立て。「(勝れ)る」は、存続の助動詞「り」の連体形。「かな」は、詠嘆の終助詞。
宵になると夏虫が火を慕って来ます。そして、火に飛び込んで儚く身を滅ぼしてしまいます。なんと愚かで哀れな姿でしょう。心迷い自分がしていることがわかっていません。しかし、今の私は夏虫以上の心迷いをしています。この身が滅びることを顧みず、恋(こひ)という火の中に自ら飛び込もうとしているのですから。私はこれまで何度も恋に落ちましたが、遂にこれほどの恋までもすることになりました。
夏の風物を題材にした歌が続く。この歌合が開かれたのが夏だったのか。少なくとも、きっかけに夏があったのだろう。この歌は「飛んで火に入る夏の虫」の習性をたとえに使っている。それによって、自分が今いかに無分別な恋に陥っているかを訴えている。この歌が実際に贈られるなら、相手に救いを求めていることになる。
この歌は、身を滅ぼすことがわかっていても、突き進んでしまうものなのだという恋の普遍性を捉えている。それを夏虫が飛び込む「火」と人間が飛び込む恋という火との類似性によって表している。また、この歌は、既に何度か出て来た「恋もするかな」のバリエーションの一つである。「(恋)も」であるから、様々な恋があることを言うためのものでもあるのだろう。編集者は、これらの点を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    544番の「なつむしのみをいたつらになすこともひとつおもひによりてなりけり」と似ていますが、こちらの方は恋に迷い翻弄され、それでも恋せずにいられない、詠み人の率直な今の思いを伝えていますね。愚かなまでに惹きつけられる様子が思い浮かびますが「宵の間“も”」の「も」で宵だけでなく始終この状態にある事も抜かりなくアピールしているように思えました。

    • 山川 信一 より:

      宵の間も儚く見えるのですから、他の時間も同様なのですね。虫が儚いのですから、作者も儚いことになりますね。

  2. まりりん より:

    この歌は、誰かに贈ったわけではないのでしょうね。
    でも贈られたとしたら、こんな風に返してみたいです。

    火に入りぬ夏虫追ひて我が身をも燃えて尽きしや迷いもなくに

    情熱的に聞こえますか?

    • 山川 信一 より:

      作者を受け入れてしまうのですね。すると、この歌はターニングポイントとなります。ならば、ここからは次の展開に移りますね。
      ただ、「入りぬ」は夏虫に掛けたのですか?ならば、「ぬ」は「ぬる」にしなければなりません。すると、字余りですね。「入れる」としましょうか。

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