返し こまち
おろかなるなみたそそてにたまはなすわれはせきあへすたきつせなれは (557)
おろかなる涙ぞ袖に玉は成す我は堰敢へず滾つ瀬なれば
「返し 小町
いい加減な涙が袖に玉は作る。私は堰き止められない。わきたつ川瀬なので。」
「(涙)ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「なす」は、四段活用の動詞「なす」の連体形。ここで切れる。「(堰敢へ)ず」は、打消の助動詞「ず」の終止形。ここで切れる。以下は倒置になっている。「(瀬)なれば」の「なれ」は、断定の助動詞「なり」の已然形。「ば」は、接続助詞で原因理由を表す。
あなたは真面目に導師のお話をお聞きにならなかったのですね。だから、感涙と言っても、涙が玉程度なのです。それに対して私の涙は、湧き上がり流れる川瀬のように激しく流れますから、堰き止めることなどできません。
小町は、相手の真意がわかっているのに、はぐらかす。清行の歌に言う涙は導師の話に対する涙だととぼける。それでいて、相手を直接非難することなく、相手の誠意が十分ではないという思いをほのめかす。そして、相手がこれをどう受け入れるかを試している。つまり、この歌を待ってましたとばかりには受け取っていない。恋を一気に進めようとは思わない。恋は結果ではなくてその過程を楽しむことであると心得ているからだ。小町が恋に長けていたことがわかる。
編集者は、恋がいかようにも展開する可能性を秘めた巧みな表現を評価したのだろう。
コメント
あなた、あのお話を聞いて一粒二粒涙を落とす程度なんて、わかってないのね。湧き滾る瀬のように私の思いは全てを押し流して誰も止めようもないほどだというのに。
話を合わせて一言も恋に触れず、「お話しならない、出直していらっしゃい」と鮮やかに突き返す。さすが小町ですね。
わざと曲解して、別の話にしてしまう。この方法は、相手を直接責めることにならないので、相手のプライドを傷付けません。とても上手いやり方ですね。これは応用が利くので、現代の女性でも賢い人はそうしていますね。この方法は小町からの伝統でしょうか。
直接相手を非難せず、相手のプライドを傷つけないとは、上手いやり方ですね。私も是非とも見習いたいです。小町の方が清行よりも一枚うわでですね。
少なくとも恋のイニシャティブは小町が握っています。でも、小町はこの恋を止めようとしているわけではありません。なぜなら、自分の方がずっと激しい涙を流していると言っているのですから。つまり、どう転んでもいいようにしているのです。どうぞ、この点も見習ってください。