《心地よい調べ》

題しらす 読人しらす

あさちふのをののしのはらしのふともひとしるらめやいふひとなしに (505)

浅茅生の小野の篠原忍ぶとも人知るらめや言ふ人無しに

「私が耐え忍んでも人は知っているだろうか。言う人無しに。」

「浅茅生の」は、「小野」の枕詞。「浅茅生の小野の篠原」は、「篠原(しの)」の同音の「忍ぶ」を導く序詞。「とも」の「と」は、格助詞で引用を表す。「も」は、係助詞で強調を表す。「らめや」の「らめ」は、現在推量の助動詞「らむ」の已然形。「や」は、終助詞で反語を表す。以下は、倒置になっている。
小野の篠が覆い繁っている野原は何が隠れているかわかりません。私の心もそれと同じです。ひとり恋心を隠して堪え忍んでいます。そうだと、あなたは知っているでしょうか。知るはずもありません。誰もあなたに伝えてくれないのですから。
恋とは、他者に知られずに二人だけで思いを共有することである。けれど、今の作者には、そのすべがない。もちろん、人に伝えてもらうわけにもいかない。そんな行き詰まった心を詠んでいる。
序詞のイメージを利用して、抵抗なく堪え忍ぶ心に滑らかに移行している。また、「篠原」「忍ぶ」「知る」「無し」と「し」の音を繰り返すことでゆったりした心地よい調べを生み出しつつ、静かに自分の心を伝えている。編集者は、このように表現技巧と内容が調和していることを評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    声に出して読んだ時、「し」の音の清涼感が初々しさすら感じさせます。
    まだ始まる前の恋なのでしょうか。片思い。伝えられないまま募るばかりの思い。思い人はこちらの存在すら知らないかもしれない。行く手を阻む篠原、まるで出会う事を遮るように見通せない恋。忍ぶ恋とは言っても、先ずは気付いてもらえないと。
    この歌を受け取った人の「え?私?」という顔が思い浮かんでしまいました。

    • 山川 信一 より:

      和歌は、内容だけが重要なのではありません。歌ですから心地よい音、韻律が重要です。だからこそ、読み手の心に入って来るのです。
      恋の歌は、恋の段階を踏んで並べられています。この辺りは、まだ逢えない段階ですね。この歌を受け取った女性も喜びに満ちた戸惑いを感じたことでしょう。

  2. まりりん より:

    似たような歌で、「浅茅生の小野の篠原忍ぶれどあまりてなどか人の恋しき」というのが百人一首にありますね。関連があるのでしょうか。どちらかの「本歌取り」とか?

    • 山川 信一 より:

      「浅茅生の小野の篠原忍ぶれどあまりてなどか人の恋しき」は、参議源等の歌ですね。もともと、『後撰集』に載っています。これは、本歌取りと言うよりは、「浅茅生の小野の篠原忍ぶ」という表現のバリエーションの一つでしょう。これを使えば、他にもできそうです。藤原定家は、その中で参議等の歌を優れていると評価したのです。ただ、評価は人それぞれです。この歌は、『古今和歌集』の歌にある「知る」の「し」の音を削り、「恋しき」と感情を表に出しています。貫之ならどう評価したでしょう?

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