とものあつまへまかりける時によめる よしみねのひてをか
しらくものこなたかなたにたちわかれこころをぬさとくたくたひかな (379)
白雲の此方彼方に立ち別れ心を幣とくだく旅かな
「友が東国へ下る時に詠んだ 良岑秀崇
白雲があちらとこちらに立ち別れるように心を幣と砕く旅だなあ。」
「白雲の」は、「立ち別れ」に掛かる枕詞。「かな」は、詠嘆の終助詞。
友が遠い東国に下ることになった時、この歌を詠んだ。
これから君と僕はあの空の白雲が千切れていくようにあちらとこちらに別れることになる。今日は風が強い。だから、旅の道中の安全を祈って道の神に供える幣も風に乗って散り散りになっている。それはまるで君との別れの悲しみで細かに砕かれた僕の心のようだ。僕の心は悲しみで、あの幣みたいに細かく砕かれるようだ。君の旅は、僕をこんな思いにさせる旅なのだよ。
別れの日は、空に白雲が懸かる風の強い日だったのだろう。風に白雲は千切れ、幣は散り散りになる。作者は、その実景を詠み込み、悲しみに砕かれる自分の心にたとえた。このたとえは、技巧のための技巧ではない。友への思いをそのまま表した表現である。言わば、心の等身大の表現である。だから、作者の別れの悲しみは、確かに友に伝わったに違いない。
コメント
ここでは作者と友は、上下の関係のない対等な立場の友人同士に思えます。だからでしょうか、絵画的に、向こう側とこちら側に千切れた雲は対称的で、幣のように細かく砕かれた心の破片も同じくらいの大きさで散らばっている様が頭に浮かびます。
寂しさにうち砕かれた心。それを幣として道祖神に供え、友の無事を祈ると。
お世辞とか忖度とか、建前などでない、友への率直な思いが感じられて、清々しい印象を受けます。
なるほど、絵画的ですね。千切れた白雲、飛び散った幣が目に浮かびます。それによって、別れの悲しみによって細かく砕かれた作者の心が想像できます。まさに「友への率直な思い」として伝わって来ます。「対称的」は「対照的」の変換ミスですね。
友の旅立ちを見送る。折からの風が雲を蹴散らして行く。君の無事を祈って振る私の幣の欠片も同様に君を追いかけて飛んで行く。あぁ、まるで引き千切られた私の心のようではないか。
心をかき乱す風だけれど、どうか君の追い風となるように、と祈っているのでしょう。
振り返る。空行く散り散りの雲をみると、君が千切れんばかりに振った幣の欠片と見紛うてしまう。もう姿は見えないけれど、まだこちらを見ているような気がする。雲は行く。さぁ、もう、振り向くまい。君の欠片が目指す先を記してくれるのだから、、。
別れの場面の風景と心情とが溶け合ったような歌ですね。風景が心情になり、心情が風景になって伝わって来ます。