《川の流れのように》

年のはてによめる はるみちのつらき

きのふといひけふとくらしてあすかかはなかれてはやきつきひなりけり (341)

昨日と言ひ今日と暮らして飛鳥川流れて早き月日なりけり

「年の果てに詠んだ 春道列樹
昨日と言い今日と暮らして、飛鳥川が流れるように早い月日であることだなあ。」

「飛鳥川」は、「昨日」「今日」を受け、「明日」を掛けている。また、「流れて早き」の枕詞になっている。「(月日)なりけり」の「なり」は、断定の助動詞「なり」の連用形。「けり」は、詠嘆の助動詞「けり」の終止形。
今日で一年が終わる。一年を振り返ってみれば、その日その日を昨日と言い今日と言い、明日へ向かって暮らしてきた。こうして、月日は、明日と同音の飛鳥川の水の流れのように早く過ぎていった。大晦日の今日はそのことに改めて気付かされることだなあ。
大晦日に一年を振り返り、時の流れの早さを思う。一日は、昨日、今日、明日と名前を変えて過ぎていく。そこで、明日という言葉から同音の「飛鳥川」を連想する。時の流れに川の流れを重ねる。すると、無常感に包まれる。この歌はそんな意識の流れを詠んだ。これは当時の人には自然な意識の流れだったのだろう。いわゆる「あるある」である。雑下(933)に次の歌がある。「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」飛鳥川は、無常なるものの象徴になっていたようだ。

コメント

  1. 優子 高木 より:

    飛鳥川、2年前に娘とサイクリングしました。甘樫丘、首塚、飛鳥寺といにしへを旅してきました。

    • 山川 信一 より:

      高木さん、初コメントありがとうございます。
      季節はいつでしょうか?明日香はのんびりした感じでいいですね。私も修学旅行で何度か行きました。行ったのは秋でした。

  2. まりりん より:

    時の流れに川の流れを重ねているのですね。昨日、今日、明日。過去、現在、未来。
    私たちは、時を旅しているようです。
    年の暮れに、嫌なことや後悔などは一緒に川の水に流して忘れてしまいたいと暗に言っているようにも思えてきます。明日からの新しい年への期待などは抱いていないように感じます。

    • 山川 信一 より:

      客観的に見れば、私たちの意識とは関係なく時は流れています。しかし、時を意識する時期って有りますね。その一つが大晦日です。ああ、もう一年が終わるのか、「嫌なことや後悔などは一緒に川の水に流して忘れてしまいたい」と思うこともありますね。

  3. すいわ より:

    なるほど、今いる「今日」という「時」は時の流れに従って「昨日」と呼ばれ、「明日」へとまた運ばれて行く。自身も変わらないつもりでいても、いつの間にか時の流れに抗うことなく、川の名の通りにまさに飛ぶ鳥の如く速い速度でいつの間にやら毎日が過ぎて行く。あるあるだとしても、時代に左右されず感覚を共有出来ることが感慨深いです。
    「暮らし」が「くらし(暗し)」の音と同じで、その後に続く「飛鳥(あすか)川」は「明日」、「はやきつきひ(月日)」と、明るさと対照しているようにも見えて、年の果ての思いの中に新しい年への明るい兆しも僅かに含ませているようにも思えます。

    • 山川 信一 より:

      まさに時の早さは飛ぶ鳥のようでもありますね。その含みもありそうです。この時代の「あるある」は時代を超えて現代にも通じていますね。歌は身近な「あるある」から始めて、普遍を目指すもののようです。

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