《空想と慰め》

題しらす せきを

しものたてつゆのぬきこそよわからしやまのにしきのおれはかつちる (291)

霜のたて露のぬきこそ弱からし山の錦の織ればかつ散る

「題知らず 藤原關雄
霜の縦糸と露の横糸が弱いらしい。山の錦が織ればそのそばから散る。」

「こそ」は、係助詞で強調を表し、係り結びとして働き、文末を已然形にする。「弱からし」は形容詞「弱し」の未然形「弱から」と推定の助動詞「らし」が融合した形。「弱くあるらし」が約まった。「らし」は已然形。「錦の」の「の」は、格助詞で主語を表し、「散る」に掛かる。「織れば」の「ば」は、接続助詞で、恒常的条件を表す。「・・・するといつも」の意。「霜」と「露」を織るのである。
山の紅葉は、錦のように美しい。なのに、その美しさは長続きしない。あっという間に散って、錦が損なわれてしまう。なぜこんなことになるのだろう。それは、錦を織り上げた糸に原因があるに違いない。紅葉の錦は、霜と露によって織られている。どうも、その糸が弱いらしい。もっとしっかりした糸で織ってくれればいいのに。
紅葉は、錦のように美しい。紅葉は、霜と露とによって染め上げられた錦である。ここまでは、常識である。作者は、ここから更に先を次のように空想することで、常識を超えた。「錦は織物であるから、織るには糸がいる。ならば、霜と露とがその糸である。紅葉の錦は、霜の縦糸と露の横糸によって織られたものだ。紅葉が散るのは、錦がほどけるからだ。ならば、霜の縦糸と露の横糸が弱いからに違いない。」錦のように美しい紅葉が散っていく残念な気持ちをこのような空想で慰めているのだろう。空想は、時に心を慰める。

コメント

  1. すいわ より:

    遠い山を眺め、山の彩りの褪せていく様子を惜しんでいるのですね。紅葉を染めると思われている霜や露、そこから一歩踏み込んで、美しい錦の素材(縦横の糸)と見立てるのが斬新。形の定まらない水属性のものが素材だから編まれたものも儚いわけだ、と。
    季節が違ってしまうのですが、この歌を見た時に、立ち上がった霜柱が織機に張られた経糸に思え、手を触れると落ちてしまう露はなるほど左右に動かされる横糸と見立てられる、と思いました。

    • 山川 信一 より:

      『古今和歌集』らしい比喩ですね。私は、「春の着る霞の衣ぬきを薄み山風にこそ乱るべらなる」(23)を思い出しました。
      なるほど、霜柱は縦糸に思えますね。葉の上の露は、左右に動くので、横糸ですね。

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