題しらす/又は、あすかかはもみちはなかる よみ人しらす(一説、人丸)
たつたかはもみちはなかる神なひのみむろのやまにしくれふるらし (284)
竜田川紅葉葉流る神なびの御室の山に時雨降るらし
「竜田川は紅葉した葉が流れる。神が鎮座する御室の山に時雨れた降るらしい」
「紅葉葉流る」で切れる。「降るらし」の「らし」は、根拠のある推定の助動詞の終止形。
竜田川に紅葉した葉が流れている。竜田川は、神が鎮座する御室の山から流れてきたものだ。ならば、御室の山に時雨が降ったことがわかる。紅葉の葉は、時雨が散らせるものだからだ。
「御室」は「神が天から降りて宿る場所」という意味である。「神なび」と合わせて、神聖さを強調している。それによって、この紅葉の葉は、そこから流れてきた特別のものだと思わせる。すなわち、流れる葉の神々しいほどの美しさを想像させる。さらに、そこから御室の山の紅葉の見事さ、時雨の冷たさを想像させる。こうして、この歌は、時間的空間的広がりを感じさせ、紅葉の美しさが重層的に描かれている。
コメント
前の歌、「竜田川紅葉乱れて流るめり渡らば錦中や絶えなむ」でまさに竜田川の流れは山からの流れなのだなぁと思っておりました。山から運ばれて来た紅葉が今見てい川の流れだけでなく、遥か上流から続いている。冷たい時雨に当たり更に色を鮮やかにした紅葉、神より下賜された彩りは一層輝いて見えたのではないでしょうか。
流れてきた山への思いがいっそう、紅葉の葉を味わい深いものにしていますね。だから、「神なびの御室の山」という表現になったのでしょう。