《移ろいの季節》

これさたのみこの家の歌合のうた 文屋やすひて

くさもきもいろかはれともわたつうみのなみのはなにそあきなかりける (250)

草も木も色変はれども海神の浪の花にぞ秋無かりける

「是貞の親王の家の歌合わせの歌 文屋康秀
草も木も色が変わるけれど、海の波の花には秋が無かったのだなあ。」

区切れがない。「花にぞ」の「ぞ」は、係助詞で強調を表し、係り結びとして働き、文末を連体形にする。「ける」は、詠嘆の助動詞「けり」の連体形。
秋には草木が紅葉してその色を変える。ただ、紅葉は美しくもあるけれど、それと一緒に物事が移ろう悲しみを感じてしまう。人が心変わりすることを思わせるからだ。しかし、海の波が咲かせる花は、秋が来ても変わることなく白いままだ。全てが移ろう秋だからこそそれに気が付いた。変わらない心を持った人がいるような気がしてくる。
和歌は、何かを発見した時の感動を表したものである。作者は、前の歌と同様に発見と感動をストレートに表現している。この歌では、秋の草木と海の波の色の違いに着目する。海の波を花に見立てるのは常識的であるけれど、それを秋の草木と比較するところにオリジナリティがある。そして、海の波の色がいつも変わらないことへの感動を言う。しかも、この感動は、変わりやすい秋の草木への嘆きにもなっている。つまり、秋は移ろいを強く意識させる季節だと言いたいのだ。

コメント

  1. すいわ より:

    波の花というと厳冬の荒れた海をイメージしますが、この波の花は波頭の白さなのでしょう。絶え間なく動いている海の花の色は変わらず、動かぬはずの野山は草木の彩りを変えることで移ろっていく。色の数も海は限られるけれど野山は多彩。動と静が実に対照的で、静の鮮やかな彩りが徐々に失われていくとなると、喪失感も相まってより秋の寂寥感を覚える仕立てになっているのですね。

    • 山川 信一 より:

      なるほど、静と動、多彩と単彩の二重の対象になっているのですね。この歌では秋が主役ですから、秋の次第に失われていく色彩が際立ちますね。

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