仁和のみかとみこにおはしましける時、ふるのたき御覧せむとておはしましけるみちに遍昭かははの家にやとりたまへりける時に、庭を秋ののにつくりておほむ物かたりのついてによみてたてまつりける 僧正遍昭
さとはあれてひとはふりにしやとなれやにはもまかきもあきののらなる (248)
里は荒れて人は古りにし宿なれや庭も籬も秋の野良なる
「光孝天皇が親王でいらっしゃった時、布留の滝をご覧になろうということで外出なさった途中で遍昭の母の家にお泊まりになった時に、庭を秋の野に仕立ててあり、それを見て雑談なさった折にお詠み申し上げた 僧正遍昭
里は荒れて、人は古びてしまった宿であることだなあ。庭も籬も秋の野原そのものである、この里は。」
「ふりにし」の「に」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形。「し」は、過去の助動詞「き」の連体形。過去に既にそうなってしまっているということ。「やとなれや」の「なれ」は断定の助動詞「なり」の已然形。「や」は、詠嘆の終助詞。ここで切れる。以下は、倒置になっていて、「さと」に掛かる。「なる」は、断定の助動詞「なり」の連体形。
(親王が外出の折に立ち寄った僧正遍昭の母の家。庭は、秋の野に似せて作り申し上げてあった。)折角お出でいただいたのに、この里は、荒れ放題で、そこに住む人(=私)は、すっかり年を取ってしまった宿でございますなあ。庭も垣根も花が無く秋の野原そのもので・・・。
僧正遍昭が母に代わって親王にご挨拶申し上げた。「人も景色もご期待に添うこともできず、申し訳なく存じます。」という謙遜の思いを込めている。ここで、巻四「秋上」が終わる。花が終わってしまった秋の野のもの淋しい風景を詠んで締めくくっている。「ふるのたき」の「ふる」に「ふりにし」の「ふり」と縁を持たせ、秋がいよいよ深まっていくことを暗示している。
コメント
「布留の滝をご覧になる為にこんな片田舎まで親王様にお出まし頂きました。折角のお運びだと言うのに充分なおもてなしも出来ず痛み入ります」この気持ちを伝える為に敢えて寂びた庭を演出、布留と年老いた我が身を掛けて歌に詠み込んでいるのですね。
庭の控え目な侘しい景色がかえって滝の勢いのある景色との対比になって、滝の印象を親王に強く残るよう演出したように思えます。心尽しってこういうものなのだと、老練の心遣い、流石だと思いました。
なるほど「滝の印象を親王に強く残るよう演出」なのですね。これには気が付きませんでした。納得しました。
さらに、貫之がこの歌を〈秋上〉の最後に置いた理由を考えると、この巻の歌の印象を読者に強く残るよう演出したのかも知れませんね。