第二百十五段  よい酒の飲み方

 平宣時朝臣、老の後、昔語りに、「最明寺入道、ある宵の間に呼ばるる事ありしに、『やがて』と申しながら、直垂のなくてとかくせしほどに、又使来りて、『直垂などのさぶらはぬにや。夜なれば異様なりともとく」とありしかば、萎えたる直垂、うちうちのままにてまかりたりしに、銚子に土器とりそへて持て出でて、『この酒をひとりたうべんがさうざうしければ、申しつるなり。肴こそなけれ、人はしずまりぬらん。さりぬべき物やあると、いづくまでも求め給へ』とありしかば、脂燭さして、くまぐまをもとめし程に、台所の棚に、小土器に味噌の少しつきたるを見出でて、『これぞ求め得て候』と申ししかば、『事足りなん』とて、心よく数献に及びて、興にいられ侍りき。その世にはかくこそ侍りしか」と申されき。

平宣時朝臣:北条時政の孫である朝直の三男。
最明寺入道:北条時頼。泰時の孫。二十歳で執権となり、三十七歳で没する。第百八十四段に出て来た。倹約を旨とする母に育てられた。
脂燭:照明器具。松の木で作る。

「平宣時朝臣が年を取ってからの昔の思い出話に、『最明寺入道がある宵の頃に私をお呼になったことがあったが、『直ぐに伺います。』と申し上げたものの、直垂が無くてあれこれぐずぐずしているうちに、また使いがやって来て、『直垂などがお有りにならないのでしょうか。夜なので整わない格好であっても、早く来てください。』と仰せがあったので、よれよれの直垂で、普段着のままで伺ったところ、銚子に素焼きの盃を取り添えて持って出て来て、『この酒を一人で飲むのが物足りないので、申し上げてしまったのです。酒の肴が無いけれど、家の者は寝静まってしまっているだろう。ふさわしい物があるかどうかと、家中どこまでもお探しになってください。』と仰せがあったので、脂燭をともして、隅々を探しているうちに、台所の棚に、小さな素焼きの器に味噌が少し付いているのを見つけて、『これを手に入れて参りました。』と申し上げたところ、『それで間に合うでしょう。』と言って、気持ちよく盃を数献重ねて、愉快におなりになられました。その世には、このようでがございましたが・・・。」と言われました。」

平宣時朝臣の昔語を紹介している。経験の助動詞「き」が使われているので、兼好が宣時から直接聞いた話である。真夜中に、小さな土器に付いていた味噌を肴に愉快に酒を飲んだという話である。当時は、執権でさえこうだったと、世の中にいかに質素・倹約が行き届いていたかを伝える。一方、最明寺入道の身分や立場に拘らない気さくな人柄も伝えている。時朝は、当時は、時代も人もよかったと言いたいのだろう。兼好は、この話に共感している。このことから、次のことが想像される。今は、幕府の要人が贅沢華美になり、堕落していると批判していること。酒は、肴が何であろうと、気心が合う相手と共に飲んでこそ愉快になれると考えていること。

コメント

  1. すいわ より:

    オフィシャルとプライベートを分ける、そんな当たり前のことが当たり前に出来るのはお互いに信頼し、尊重し合えているからなのでしょう。親しい間柄であっても礼を尽くすことを怠らない。その上で「愉しむ」ために必須なのは華美な衣装でもなく、豪華な食事でも無い。気のおけない友がそこにいれば、酒であれ、食事であれ無条件に楽しめる。黙って並んで歩くだけでも心楽しい。
    さて、現代は?兼好さんのお叱りを受けそうですね。

    • 山川 信一 より:

      兼好は、北条氏が滅びる理由を遠回しに言っているのでしょう。すると、現代にも当てはまりそうです。滅びるのは、政府?日本?世界?人類?

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