《旅する郭公》

題しらす よみ人しらす

けさきなきいまたたひなるほとときすはなたちはなにやとはからなむ (141)

今朝来鳴き未だ旅なる郭公花橘に宿は借らなむ

「今朝やって来て鳴き未だ旅にある郭公よ、花橘に宿は借りてほしい。」

「郭公」で切れる。郭公に呼びかけているのである。「借らなむ」の「なむ」は、願望の終助詞。「・・・てほしい」「・・・てもらいたい」
郭公は盛夏になると山から里に下り来て、橘の木に宿る。それが、今朝、我が家にやって来て鳴いたと思ったら、またどこかに行ってしまった。まだ宿が定まっていないからだ。それを「未だ旅なる」と言っている。そこで、我が家の花橘に他ならぬお前の宿は借りてほしいと言う。なぜなら、その鳴き声をいつでも聞けるからである。
郭公は、その習性から一所に留まらない。来て鳴いても、またどこかに行ってしまう。これは当たり前の行動である。それはわかっているけれど、待ちわびていたその鳴き声をずっと聞いていたいと思う。その思いをこう表現したのである。

コメント

  1. すいわ より:

    朝、ごく間近からほととぎすの鳴き声が聞こえて慌てて外を見遣ったのでしょう。でも、その時にはホトトギスの姿は無い。あぁ、折角、夏の声を聞いたと思ったのに、まだすっかりは夏になり切らないのか。我が家の橘の香りに誘われてまたここで鳴いてくれないものか、、厳しい夏、それでもホトトギスの鳴き声に涼を取る気持ちが心に風を送るようです。

    • 山川 信一 より:

      山から里へと下りてくる郭公の行動を捉えています。郭公は暑くやりきれない夏の一服の清涼剤でもあるのでしょう。どうせ宿をとるなら我が家の橘にと願いたくなりますね。

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