月夜に梅花ををりてと人のいひけれは、をるとてよめる みつね
つきよにはそれともみえすうめのはなかをたつねてそしるへかりける (40)
月夜にはそれとも見えず梅の花香を訪ねてぞ知るべかりける
「月の夜に梅の花を折ってほしいと人が言ったので、折ると言って詠んだ 凡河内躬恒
月の出る夜には、月明かりで梅の花をそれだと見ることができない。梅の花は、香りを手掛かりにそれと知るべきだったなあ。」
月明かりで梅の花が見えないのは、月の光も梅の花の色も白いからである。同色なので紛れてしまうと言うのである。前の歌で、闇により見えないと言ったので、この歌では、月明かりでも見えないと言う。つまり、前の歌では、闇の黒と梅の花の白とのコントラストを暗示したが、この歌では、月の光の白と花の白で対抗している。編集の妙である。
いずれにせよ、梅の香こそが梅の花を主張していることに変わりはない。読み手の感動はそこにある。それをどう表現するか、腕比べの感がある。
コメント
「月の白い光に溶け込んで梅の花を見分けられない、梅ならばその香を頼りに探すべきだったね(梅の香のような君のところへは迷わずに辿り着けたよ)」なんて歌いながら、彼女がおねだりした香り高い梅のひと枝を手渡してやるのでしょうね。それにしても、前回の歌と並べて置く編集の手腕、脱帽です。
月光の白い光に溶け込んでいるのは、女性の白い肌でもあったのでしょうか?幾重にも仕掛が凝らされていそうです。
この歌も後朝の歌として梅のひと枝に結ばれて贈られたのでしょうか?色々な場面が想像されて面白いです。夜なのに柔らかな白い光に包まれて一欠片の暗さも感じられません。
そうですね。いろいろな想像ができます。歌物語はこうして生まれたのでしょう。
歌物語は、なぜ途絶えてしまったのでしょう。現代に蘇らせてもいいのではないでしょうか?
そう思ったのか、俵万智が一度試みましたが、成功したとは言いがたかったですね。