《野焼きと恋》

題しらす よみ人しらす

かすかのはけふはなやきそわかくさのつまもこもれりわれもこもれり (17)

春日野は今日はな焼きそ若草のつまも籠もれり我も籠もれり

な・・・そ:禁止を表す。どうか・・・してくれるな。
若草の:「つま」の枕詞。

「春日野は今日は野焼きをしてくれるな。妻も籠もっている。私も籠もっている。」

春はいつしか野焼きの季節になった。野焼きとは、新しい草がよく萌え出すように、早春に野の枯れ草を焼くことを言う。春日野の草は、人が籠もれるほど丈が長いのだろう。春は恋の季節でもあるから、男女がその枯れ草に隠れて、秘密の逢瀬をすることもあったのだろう。「つま」は、夫婦がお互いをそう呼ぶので、この歌では、「つま」が夫か妻かはわからない。この歌には、どんな背景があったのだろう。興味がそそられる歌だ。
編者が作者を明かさず、詞書きも「題知らず」にしたのも、その効果を考えてのことかも知れない。その結果、読み手はいろいろ想像できる。
それに応えたのが、『伊勢物語』十二段の話である。舞台が「春日野」から「武蔵野」に変わっているが、作者はこの歌に刺激されて物語を作ったのだ。

コメント

  1. すいわ より:

    あら、この歌は、と思いました。伊勢物語のくだり、覚えております。かな文字で書かれた題知らずよみ人知らずの歌、特定されないことで想像の幅に広がりを持つことに納得致しました。

    • 山川 信一 より:

      この歌は、詞書きによって、恋の歌にもなります。そこで、題知らず・詠み人知らずにして、季節の歌として採用したのです。
      しかし、それでも恋の含みが感じられます。題知らず・詠み人知らずを効果的に使っていますね。

  2. らん より:

    先生、私も覚えてます。
    ほんとに、恋の歌ですね。

    • 山川 信一 より:

      『伊勢物語』では、妻が可哀想でしたね。いずれにしても、想像力が刺激される歌です。
      らんさんなら、どんな物語を作りますか?

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