梅の枝と鶯と雪

題しらす    よみ人しらす

うめかえにきゐるうくひすはるかけてなけともいまたゆきはふりつつ (5)

梅が枝に来居る鶯春かけて鳴けども未だ雪は降りつつ

春かけて:春になって。春に至って。

「梅の枝に来ている鶯は、春になって鳴くけれど、未だ雪は降り続けている。」

季節は少しずつ移ろっている。歌はそれを示している。前の歌では、目の前にいなかった鶯が春になったので、梅の枝にやって来た。雪を花と間違えたのかも知れない。それで「春が来たよ。春が来たよ。」としきりに鳴いている。しかし、季節は行きつ戻りつするもので、春は暦通りには来てくれない。何とも、もどかしいばかりだ。
「うくひす」は、「憂く・干ず」を掛けているのかもしれない。それなら、鶯は、雪が降るので、羽が「嫌だ、乾かない。」と泣いていることになる。

コメント

  1. すいわ より:

    梅(君)のもとに来て鶯(彼)は鳴く(歌う)けれど、梅の白い花は咲くことなく(あの人は微笑みを向けることなく)ただ白い雪が降り続けている、、だとしたら高子の歌の後で何だかドキドキしますね。

    • 山川 信一 より:

      なるほど、そんな読みもできますね。高子と業平の恋は続いているのですね。
      きっと『古今和歌集』編集の中に『伊勢物語』の着想が生まれていたのでしょう。

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