五日、かぜなみやまねばなほおなじところにあり。ひとびとたえずとぶらひにく。
六日、きのふのごとし。
問 この両日の記述からどんなことがわかるか、答えなさい。
既に八日も大津に停泊している。しかも、六日ともなると、正月気分も抜けてくる。変化のない日々に次第にうんざりしてきた。人々は訪れるけれど、心動かすような出来事も贈り物もなかった。来客の対応にも飽きてきている。日記を書く気にもなれない。
五日、かぜなみやまねばなほおなじところにあり。ひとびとたえずとぶらひにく。
六日、きのふのごとし。
問 この両日の記述からどんなことがわかるか、答えなさい。
既に八日も大津に停泊している。しかも、六日ともなると、正月気分も抜けてくる。変化のない日々に次第にうんざりしてきた。人々は訪れるけれど、心動かすような出来事も贈り物もなかった。来客の対応にも飽きてきている。日記を書く気にもなれない。
コメント
きのふのごとしというところで、クスッと笑ってしまいました。
変化のない日々でなにも感じられなくなってるんだなあと。
早く進みたいですね。
何も書くことが無い、書く気もしないという気分がよく出ていますね。
読む方もイライラしてきます。
退屈しのぎに歌でも詠んで、、とはいかないのだと思いました。書き手は「旧国司殿ではない」のですものね。鏡に映っている状態の時計を見るような他者目線、その不自由さで本当の書き手の思うままに視線をコントロールされている気分です。
「書き手」は作者の代弁者でありながら、作者(旧国司=貫之)ではありません。
上手く書き分けていますね。