廿七日、おほつよりうらどをさしてこぎいづ。かくあるうちに京にてうまれたりしをんなここゝにてにはかにうせにしかば、このころのいでたちいそぎをみれどなにごともえいはず。京へかへるにをんなこのなきのみぞかなしびこふる。あるひとびともえたへず。このあひだにあるひとのかきていだせるうた、
みやこへとおもふもものゝかなしきはかへらぬひとのあればなりけり
またあるときには、
あるものとわすれつゝなほなきひとをいづらととふぞかなしかりける
といひけるあひだに・・・
「ある」には、連体詞の「或」と動詞の「有る」がある。その違いは文脈によって判断する。ここでは、意識的に混在多用して、わざと意味を取りにくくしている。そのことで、読み手に文脈を丁寧に辿らせている。意味伝達本位の文にしないためである。
貫之が実際にこの地で子を亡くしたかどうかはわからない。伝承によれば、貫之が土佐の守になったのは、六十四才である。それ以前の子であるとしても、年齢的に少し無理がある。『土佐日記』は、フィクションとして、読むべきである。一行の中にそういう人物がいて、それを利用したにしても、なぜそういう設定にしたかを問うべきである。
貫之は、京に帰ることを喜んではいるけれど、この地が耐えられないほど嫌いでは無かった。むしろ、名残惜しい気持ちがあったに違いない。地元の人に慕われていることからも想像される。京には無くて、この地にしか無いよさがある。しかし、それは京へは持ち帰ることはできない。それを名残惜しく思っているに違いない。
だが、そうした思いは、どこにも述べられていない。これは不自然である。そう考えると、「亡き子」への思いがそれに当たるのだろう。この地を去る名残惜しさや哀しみを「亡き子」への思いでたとえたのだ。「亡き子」を題材に選ぶ理由が他に見当たらない。
コメント
子供を亡くした話、唐突だなぁとは思いました。フィクションとして読むべきなのですね。伊勢物語の時は地方を蔑視している様子があって、地方へ赴任したばかりに大切な子供を亡くした、悲しいことのあったこの土地を一刻も早く去りたい、という事なのかと思いました。子供を亡くしたとされる人は都へ帰る事に無頓着な印象、むしろ子供を想い、耽っている様子、この違和感はなんだろうと思いましたが、子=この土地と考えるとなるほど納得できます。後ろ髪惹かれる思い、きっと都での「政治」に疲れて素朴な地方での暮らしを手放し難くなった、という事なら、それはそれで幸せなのでしょう。真面目に務めたからこそ築けた土地との絆なのですから。
その通りです。「亡き子=この土地」この土地との絆を手放しがたくなったのです。しかし、その思いをストレートには述べにくい。そこで亡き子にたとえたのでしょう。
また、貫之は書き手は自分で無いと思わせましたが、旧国司も自分ではないと思わせたかったのかもしれません。そして、そのことでこの話がフィクションであると言いたかったのでしょう。
そういうことだったのですね。
をんなこが、なんで急に出てくるのかなあとちんぷんかんでしたが、
これでつながりました。
この土地との絆のことですか。
例えたのですね。
『土佐日記』の読解は、一筋縄ではいきません。貫之の知性に挑むつもりで読んでいきましょう。
わかった時は、自分の頭までよくなったような気がします。