これたかのみこのかりしけるともにまかりて、やとりにかへりて夜ひとよさけをのみ物かたりをしけるに、十一日の月もかくれなむとしけるをりに、みこ、ゑひてうちへいりなむとしけれはよみ侍りける なりひらの朝臣
あかなくにまたきもつきのかくるるかやまのはにけていれすもあらなむ (884)
飽かなくに未だきも月の隠るるか山の端逃げて入れずもあらなむ
「惟喬の親王が狩りをした供に同行して、宿舎に帰って一晩中酒を飲み歓談をした時に、十一日の月も山の端に隠れてしまいそうになった折に、親王が酔って部屋の中に入ってしまおうとしたので詠みました 業平の朝臣
堪能しないのに早くも月が隠れることだなあ。山の端が逃げて入れないでほしい。」
「(飽か)なくに」は、連語で逆接の接続語の働きをしている。「(隠るる)か」は、終助詞で詠嘆を表す。「(入れ)ずも」の「ず」は、助動詞「ず」連用形で打消を表す。「も」は、係助詞で表現を和らげている。「(あら)なむ」は、終助詞で願望を表す。
まだ十分に堪能していないのに早くも月が山の端に隠れることです。山の端が身をかわして入れないでほしいと思わずにいられません。しかも、月が隠れたために、親王様までお休みになろうとなさいます。月への思いは親王様への思いに重なります。まだ十分にお話していないのに、親王様がお休みになるのが残念でなりません。
作者は、月に惟喬親王を寄せて詠む。月が沈むのも親王がお休みなるのも惜しいと。
この歌も、前の歌とは〈月を堪能できない〉繋がりである。歌は、三十一文字にいかに内容を豊かに盛り込むかが求められる。(たとえば、掛詞もそのための技巧である。)この歌では、二重構造にして内容を盛り込んでいる。つまり、親王を月にたとえ、月を惜しむ思いに親王の就寝を惜しむ思いを重ねている。編集者は、こんな風にも歌えるという例を示す。『伊勢物語』には、惟喬親王の話が第八十二段と第八十三段に載っている。この歌は、長めの第八十二段の中にある。
コメント
「伊勢物語」の中でも八十二段、八十三段は親王とその人を慕う業平、有常のエピソードとして特に印象深いものでした。身分の差を超えて心通わせ、その折々の風雅を愛で歌を詠み合う。月は日毎、顔を出し、満ちては消えゆく事を繰り返すけれど、その世の月はただ一度。それを心ゆく迄共有したい業平の心が伝わって来ます。
今年コメントさせて頂こうと思っていたところ、年末となってしまいました。
ご無沙汰してしまい申し訳ございません。
月に例えているところから、業平にとって親王は掛け替えのなく、身近でありながら大切な存在であると感じました。
また月のイメージから、親王の高貴な雰囲気も想像できました。
夜通し歓談しても、まだ話していたいと思えるほどの深い付き合いを求めていきたいと思いました。
山川先生の授業は、いつも古文だけに留まらず現代に活きる知見を下さりました。
今後も拝見しながら、大学生活の糧とさせて頂きます。