《歓談の楽しさ》

題しらす よみ人しらす

おもふとちまとゐせるよはからにしきたたまくをしきものにそありける (864)

思ふどち円居せる夜は唐錦たたまく惜しきものにぞありける

「題知らず 詠み人知らず
思う同士車座になる夜は唐衣を裁つことが惜しいように、席を立つのが惜しいことであったなあ。」

「唐衣たたまく」は、「裁つ」を介して「立つ」を導いている。「ま」は、助動詞「む」の未然形で意志を表す。「く」は、準体助詞。「にぞあり」は、助動詞「なり」を「に」と「あり」に分解して中に「ぞ」を挟んだもの。「ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「ける」は、助動詞「けり」の連体形で詠嘆を表す。
気心の知れた友だちと車座になって話す夜は、ひとときでも席を立つのが惜しいほど楽しいなあ。この気持ちはまるで美しい錦で織りなした十二単を裁つように惜しいと気がついたよ。
日常生活におけるちょっとした気付きがテーマになっている。それによって、歌には、こんな題材もあるのだとも言っている。気心の知れた者同士が集まり車座になって歓談する。多少形は違っても今もよくある。だから、誰しものが共感できる思いであろう。ただし、その惜しほどの楽しい気分を「唐衣」を裁つと結びつけているところにこの歌の表現の独自性がある。これでその惜しさが特別な感情になった。特殊なたとえが普遍的感情と個性的感情を両立させたのである。そこに意外性が生まれ、詩が生まれた。編集者は、それを評価したのだろう。そして、「雑歌」からは、裃脱ぎリラックスして、言わば車座になって一緒に歌を楽しみましょうとも言っているのだろう。

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