《死を強く意識した時の歌》

身まかりなむとてよめる 藤原これもと

つゆをなとあたなるものとおもひけむわかみもくさにおかぬはかりを (860)

露をなど徒なる物と思ひけむ我が身も草に置かぬばかりを

「きっと死んでしまうだろうと思って詠んだ 藤原惟幹
露をなぜ儚く心許ないものと思ったのだろうか。私の身も草に置かないだけなのに。」

「(思ひ)けむ」は、助動詞「けむ」の連体形で過去推量を表す。「(置か)ぬばかりを」の「ぬ」は、助動詞「ず」の連体形で打消を表す。「ばかり」は、副助詞で限定を表す。「を」は、接続助詞で逆接を表す。
草に置かれた露は、日が出ると直ぐに消えてしまうほど移ろいやすく頼りにならない。言わば、儚い物の代表である。だから、これまでは、これ以上儚い物もあるまいと思ってきた。しかし、自らの死を意識する今となっては、とてもそうは思えない。露をなぜ儚い物の代表だなどと思っていたのだろう。私の身にしたって、草に置かないだけの違いで、その儚さに変わりはないのに。人の命とはなんと儚いものか。
作者は、自らの死を強く意識した時の心境を歌として詠んだ。
この歌の発想そのものは、前の歌に似ている。しかし、この歌は、前の歌より一層強く死を意識した時の心境を詠んだ歌である。そのため、題材が紅葉葉から露へと変わる。なるほど、落葉よりも露の方が一層儚い。紅葉葉なら散りゆくのに時間が掛かる。露は一瞬にして消えてしまう。作者が題材に露を選んだのは一層命の儚さを感じたからである。編集者は、この二つの題材の微妙な違いに注目し、対照的な歌として載せたのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    前の歌の紅葉葉であれば落ちて散り敷き、それそのものがすぐに消えるわけではない。それに比べると露はきらきらと美しく光りを放つものの、僅かの時間で消え去ってしまう。藤原姓に生まれ栄華の中にあったであろうけれど、消えゆく時はなんと呆気ない。誰もが儚いものと認め知っている露、それと我が身はなんら変わりはないではないか、、。
    差し迫る死を前に歌を詠み、その発見を共有しようとすると歌人魂、恐れ入るばかりです。

    • 山川 信一 より:

      編集の妙を感じます。紅葉葉から露へと題材を変えることで、死を意識する度合いを表しています。儚さを一層感じていることがわかります。
      歌人とは命が尽きる間際までも、歌を詠まずにはいられない生き物のようです。

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