あるし身まかりにける人の家の梅花を見てよめる つらゆき
いろもかもむかしのこさににほへともうゑけむひとのかけそこひしき (851)
色も香も昔の濃さに匂へども植ゑけむ人の影ぞ恋しき
「主が亡くなった人の家の梅の花を見て詠んだ 貫之
色も香りも昔の濃さで咲いているけれど、植えたであろう人の姿が恋しい。」
「(植ゑ)けむ」は、助動詞「けむ」の連体形で過去推量を表す。「(影)ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「恋しき」は、形容詞「恋し」の連体形。
梅の花が色も香も今も昔と変わらない濃さで咲いています。それなのに、それを植えたであろうこの家の主人は亡くなってしまいました。しかし、遺されたあなたは今でもこの梅のように変わらぬ美しさを保っていらっしゃいます。そのために、一層亡くなられたご主人のお姿が恋しく偲ばることです。
作者は遺されたものによって故人を偲んでいる。
前の歌と似た設定の歌である。しかし、細かな状況が違うので、当然歌も違ってくる。この歌は、前の歌よりも状況を細やかに生かしている。桜が梅になることで、記憶に結びつきやすい香りが加わる。そのため、思いも、一般的な感慨ではなく、この場面に寄り添ってくる。また、同じ「人」でも、前の歌は実際に桜を植えた人を指す。それは使用人だろう。だから、思い入れは薄い。しかし、この歌の「人」は、おそらく女だろう。つまり、未亡人である。梅の花は、彼女がまだ色も香も備えていることを暗示する。したがって、この歌の目的は微妙である。未亡人の変わらない美貌を讃えることで彼女を慰めつつも、その一方で誘惑の歌にもなりかねない。つまり、これは遺された者が夫人の場合にありがちな心理でもある。この歌には句切れが無い。しかも、「(色)も香(も)」「(匂へど)も」と同音を繰り返し、調べがいい。また、上の句で情景、下の句で心情を述べ、歌の形が整っている。編集者は、こうした内容と表現を評価したのだろう。
コメント
上の句で梅を視覚、臭覚で表現する事で現存感を強く印象付けます。一方、対照的に下の句ではここに梅を植えたであろう人が今はもう存在しないという事を心情も加える事で強調している。生者と死者。
あなたは今でも昔と変わらず美しいままだと言うのに、あなたをここへ連れて来たこの家の主人はもはや存在せず、恋偲ばれるばかりだ、と。なるほど誘惑の歌とも取られかねないですね。私は詞書の「身まかりにける人」を身内と捉えて、若くして夫を失った姪の行末を案じている「叔父」目線で読みました。
もちろんそうも読めます。作者が貫之ですから、未亡人を誘惑などしないでしょう。その読みが順当でしょう。ただし、若くして遺された未亡人に対しては、心穏やかになれないのが男のサガです。それを匂わせる歌にもなっています。その場面にふさわしく、かつある種の普遍性を備えた歌が優れた歌の条件なのでしょう。