《最高権力者の死》

河原のおほいまうちきみの身まかりての秋、かの家のほとりをまかりけるに、もみちのいろまたふかくもならさりけるを見てかの家によみていれたりける 近院の右のおほいまうちきみ

うちつけさひしくもあるかもみちはもぬしなきやとはいろなかりけり (848)

うちつけに寂しくもあるか紅葉葉も主無き宿は色無かりけり

「河原の左大臣源融が亡くなった年の秋、あの家の辺りを通ったところ、紅葉の色がまだ深くもならないのを見てあの家に詠んで差し入れた 近院の右大臣(源能有)
急に寂しくもあることだ。紅葉葉も主人がいない家は色が無いことだなあ。」

「(ある)か」は、終助詞で詠嘆を表す。「(無かり)けり」は、助動詞「けり」の終止形で詠嘆を表す。
ご主人がお亡くなりになって急に寂しくもありますね。ご主人がいない宿では、皆さんは喪服で色が無い訳ですが、紅葉葉までもが華やかな色を控えていることに気づきました。家全体が悲しみの中にあることがわかります。
正式な弔問ではなく、近くを通った時に差し入れた歌である。弔問しにくい事情があったのか、それは無くても、何か言わずには通り過ぎることができなかったのか。
この歌も、前の歌と同様に色を用いている。ただし、前の歌とは季節を変えて、紅葉という具体物を示す。一方、天皇から最高権力者である左大臣の死へと続ける。時の最高権力者と言っても亡くなってしまえば、その家の勢いは急激に衰えよう。作者はそれをどう受け取ったのだろう。結局、歌の意味は誰がどんな状況で詠んだかによって決まる。作者は右大臣である。と言うことは、左大臣に次ぐ権力者である。しかも、家の近くを通りかかった際に差し入れた歌である。ならば、単なる同情とは考えにくい。同情に見せたある種の当てこすりであろうか。表現としては、「寂しくも」「紅葉葉も」の「も」が読み手に何かあるなと思わせる。編集者は、こうした微細な助詞の使い方を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    政敵が亡くなり私の道を阻むものもなくなった。急に風通しが良くなり私には好都合ではあるのだけれども。
    ライバルを失い私“も”寂しく思っております。主人を失い皆様におかれてはお辛い事でしょう、秋、鮮やかな季節だと言うのに、お庭の紅葉も色付くこと無く、喪の明けぬ皆様の悲しみも今だに癒ない事をお察し致します。立場上、直接伺うことはご遠慮いたしますが、歌をもってお悔やみ申し上げます、、。こんな感じでしょうか。敵ではあっても並走していたライバルが突然いなくなったら、こんな気持ちになるでしょうか。首位を手には入れられても「勝った」とは思えないかもしれません。

    • 山川 信一 より:

      そうですね。私は「あてこすり」(嫌味)と取ってしまいましたが、政敵と言えどもそこまで憎んではいないかも知れません。しめしめと思う自分にある種の後ろめたさを感じてお悔やみの歌を贈ることもあるでしょう。しかし、この歌にどんな意味を込めるか、それをどう受け取るかは、状況次第です。出世競争のライバルが突然いなくなった時、それをどう感じるかは人それぞれですね。

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