諒闇の年池のほとりの花を見てよめる たかむらの朝臣
みつのおもにしつくはなのいろさやかにもきみかみかけのおもほゆるかな (845)
水の面にしづく花の色さやかにも君が御影の思ほゆるかな
「天皇が崩御され喪に服す年、池の辺の花を見て詠んだ 篁の朝臣
水の面に映る花の色のようにはっきり君の面影が思われることだなあ。」
「水の面にしづく花の色」は、「さやかに」を導く序詞。「(思ほゆる)かな」は、終助詞で詠嘆を表す。
池の水の表面にまるで水底に沈んでいるかのように花の色がはっきり見える。それと同じように私には亡き天皇の面影がはっきりと色鮮やかに思われることだなあ。私の中で亡き天皇は生きていらっしゃるのだ。
作者は、今でも自分が亡くなった天皇を忘れていないことを伝えようとしている。
諒闇とは、天皇の喪に服す期間のうち最も長い一年間のことを言う。だから、当然、その中には四季が巡って来る。その中で春は最も喪に似つかわしくない季節であろう。しかし、その春にあっても、作者は亡き天皇を思い出すと言う。つまり、死とは懸け離れた生命感溢れた華やかな季節にあってもその面影が見えると言うことで思いの深さを示している。人は二度死ぬと言う。実際に死ぬ時と忘れられた時である。だから、死者に対する一番の思いは、忘れないことである。忘れなければ、死んでもその人は生き続けられる。この歌は、喪に最も似つかわしくない春の季節感を逆手にとり亡き天皇への思いの深さを表している。編集者は、その仕掛の効果を評価したのだろう。
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