ちちかおもひにてよめる たたみね
ふちころもはつるるいとはわひひとのなみたのたまのをとそなりける (841)
藤衣はつるる糸は侘び人の涙の玉の緒とぞなりける
「父の喪中に詠んだ 忠岑
喪服の解れる糸は嘆きに沈む人の涙の玉の紐となったことだなあ。」
「(玉の緒と)ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(なり)ける」は、助動詞の連体形で詠嘆を表す。
藤色の喪服から糸が解れ出ている。それは、まるで私の心から解れ出たかのようだ。だから、この糸は父の死に嘆きに沈む私の涙の粒を玉として貫く紐となったことだなあ。
父の死に際して流す涙の数が喪服の解れた糸を紐にして数珠になるほどだと言う。誇張表現によって悲しみの程を伝えようとしている。
母に続いて父の死の歌を載せる。「涙」繋がりである。ただ、前の歌はその色に注目したが、この歌は丸い形に注目している。涙を真珠に見立てたのである。そして、それが喪服から解れ出た糸が貫いて数珠になったと詠嘆する。つまり、それを事実として確信しており、その確信により悲しみの大きさを表しているのである。この「藤衣はつるる糸」の具体性から「涙の玉の緒とぞなりける」への飛躍が見事である。また、「紅葉葉」と「藤衣」の色の対照に注目すると、この歌は前の躬恒の歌を意識して作られたのかも知れない。その色は、母の死への心抉るような強烈な悲しみとは異なる、父の死へのしみじみとした悲しみを表している。編集者は、こうした表現への配慮を評価したのだろう。
コメント
画面の色といい、母への歌とは対照的。湧き上がる感情というより、悲しみの中にありながら、ふと目に留まった喪服のほつれから歌を詠む冷静。その解れた糸に自らの流した涙の玉を繋ぎ通す。一粒一粒に父との思い出が詰まっているようでもあり、また家の存続という父から託された次代を担う責任の重みも玉の緒が象徴しているようにも感じられるました。
「藤衣」と「紅葉葉」という題材の色が歌のトーンに働いていますね。母の死と父の死では感情のあり方が違います。解れた糸に注目する「冷静」さもそれです。それがその違いを暗示します。作者は、悲しみにありながらも「家の存続」という自己の役割の「責任の重み」を感じていたのでしょう。玉を繋ぐ紐がそれを暗示するかのようです。