藤原敏行朝臣の身まかりにける時によみてかの家につかはしける きのとものり
ねてもみゆねてもみえけりおほかたはうつせみのよそゆめにはありける (833)
寝ても見ゆ寝でも見えけり大方は空蝉の世ぞ夢にはありける
「藤原敏行朝臣が亡くなった時に詠んであの家に贈った 紀友則
寝ても見える。寝ないでも見えることだ。だいたいは現世が夢であったのだなあ。」
「(寝)で」は、接続助詞で打消の意を伴った接続を表す。「(見え)けり」は、助動詞「けり」の終止形で詠嘆を表す。「(世)ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(あり)ける」は、助動詞「けり」の連体形で詠嘆を表す。
敏行が寝ても夢に見える。いや、寝ないでも現実に見えることだなあ。これは夢なのか現なのか。いや、総じては、儚い現世そのものが夢であったのだなあ。
『古今和歌集』の選者でもある友則は、敏行を優れた歌人として高く評価していたに違いない。敏行の歌は、秋の巻頭歌など十九首載っている。「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」は、今でも人口に膾炙している。また、友則にとって、敏行仲間であり親しい友でもあったのだろう。敏行の死を現実だと思いたくない思いを詠んだ。
自分にとって掛け替えの無い友の死を受け止め切れない時、人はどう反応するだろうか。この歌は、その典型例を示している。現実のつらさに堪えられない時、往々にして、人は「夢」に逃避する。この時友則は、「これは夢だ。いや、人生のすべてが夢なのだ。」と思うことによってその悲しみに耐えようとした。つまり、この歌は、「夢」の効用を利用した慰め方を示している。一首の中に詠嘆の助動詞「けり」が「(見え)けり」「(ぞ)・・・ける」と重複して使われている。まず敏行の死という特殊な出来事に詠嘆し、次にこれを一般化して詠嘆している。普通、一首の中の詠嘆の重複は望ましくないと思われるが、敢えてそうすることで敏行の死の衝撃のほどを表している。表現は、内容によるものであって、形式的制約ではない。編集者は、この適切な「けり」の使い方を評価したのだろう。
コメント
涙や辛さなど悲しみを連想させる言葉を一切使わず、むしろ全ての感覚を閉じることでギリギリ自分を保っているような様子を想像します。大きな喪失を受け止め切れず夢の中を逍遥するような感覚。足元も覚束ない。まるで夢の中。そうだこれは悪い夢で、いや、今、私は起きている。なのに何だ?そうか本当のことなのだ。盟友を失った。こんなにも現世は儚いものだったのだ、、。頽れる友則を目の前で見ているようです。本当の悲しみは筆舌に尽くし難い。そこには形式など及びもつかない。
友則にとって敏行はまさに盟友だったのでしょう。その死に心も体も崩れるほどだったに違いありません。しかし、どんな悲しみにあっても歌人はその悲しみを歌にしようとします。それが歌人の哀しいさがでもあります。筆舌に尽くしがたい悲しみを何とか言葉で捉えたのがこの歌だったのでしょう。
「しかし、どんな悲しみにあっても歌人はその悲しみを歌にしようとします」それが歌人の友を見送る、歌人としての友則のプライドでもあるのでしょうね。「夢」と言いながら友則の悲しみの「リアル」が読み手がその場に臨場しているがごとく伝わってきます。
「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」これは、歌人河野裕子氏が死の前日に詠んだ辞世の歌です。そして、夫の永田和宏氏は、妻の死に際しならが自分も歌を作っていたと言っています。永田氏はこうした態度を自嘲していますが、これはプライドと言うよりも歌人のサガなのでしょう。そして、なんと素敵な生き方でしょう。