ほりかはのおほきおほいまうち君身まかりにける時に、深草の山にをさめてけるのちによみける 僧都勝延
うつせみはからをみつつもなくさめつふかくさのやまけふりたにたて (831)
空蝉は殻を見つつも慰めつ深草の山煙だに立て
「堀川の太政大臣藤原基経が亡くなった時に、深草の山に納めた後に読んだ 僧都勝延
蝉は殻を、人は亡骸を見て慰めた。せめて深草の山に煙だけでも立て。」
「空蝉」は、「蝉」と「現身(=この世の人)」の意を兼ねる。「(見)つつ」は、接続助詞で継続を表す。「(慰め)つ」は、助動詞「つ」の終止形で意志的完了を表す。「だに」は、副助詞で最小限度を表す。
蝉は殻を見ながらもその姿を偲び心慰める。それと同様に、この世の人としては、基経様の亡骸を見て亡くなられた悲しみを慰めていた。しかし、今はその亡骸も墓に納めてしまい、慰めに見るものが無くなってしまった。だから、せめて亡骸を火葬する深草の山は煙だけでも絶えず立ってほしい。それを見て心慰めるから。
亡骸を蝉の脱け殻に重ねた歌は「物名」にもあった。「空蝉の殻はきごとに留むれど霊の行方を見ぬぞ悲しき」(448)この歌を踏まえたのだろうか、煙によって魂の行方を示して欲しいと言うのだろう。
前の歌とは、「権力者の死」繋がりである。ただし、この歌には権力への忖度があまり感じられない。「(慰め)つ」に作者個人の意志が感じられる。また、「(だに・・・)立て」の命令形にも故人への愛惜が表れている。普通、死者を焼く煙は普通悲しみを誘うものだが、この歌では慰めるものとして扱われている。編集者はこうした逆転の発想を評価したのだろう。
コメント
基経も権勢を握った人ですね。前の歌同様、この歌も権力者が亡くなったのちの歌だけれど、なるほど「公」の色合いより私人としての間柄で詠んでいる感が強いように思います。
この当時は火葬だったのでしょうか。空蝉はその殻が残るから形見としてそれを見て思い忍ぶことができるけれど、人は形が残らない。深草の山に埋葬して土に帰り、山と一体となることで噴煙を上げ、畏れと共にその勢い盛んだった面影を皆が忘れないように見せてほしい、という思いなのかと読んでしまいました。
平安時代は、天皇や貴族は火葬でした。だから、私はこの煙を火葬の煙と解しました。その煙がいつまでも続いてほしいと願うのだと。しかし、それだと火葬の煙はひとときのものですから、有り得ないことです。しかし、敢えてそう言うのだと解したのです。しかし、すいわさんが考えるように、その後山に埋葬すれば「山と一体となることで噴煙を上げ」ると考えることは可能です。