題しらす よみ人しらす
あしへよりくもゐをさしてゆくかりのいやとほさかるわかみかなしも (819)
葦辺より雲ゐを指して行く雁のいや遠ざかる我が身悲しも
「題知らず 詠み人知らず
葦の生えている辺りから雲を指して行く雁のようにますます遠ざかる私の身が悲しいなあ。」
「葦辺より雲ゐを指して行く雁の」は、「遠ざかる」を導く序詞。「(悲し)も」は、終助詞で詠嘆を表す。
季節は秋。水辺には葦が生えている。その辺りにそれまでは餌を探していたのだろう、その雁が雲の彼方を目指して飛び立ち、見る見るうちに遠ざかっていく。まさにうら寂しい秋の情景である。その姿はまるで今の私のようだ。私の身もあの人からいよいよ遠ざかっていく。あの人にも私があの雁のように見えているのだろうなあ。なんとも悲しいことだ。
作者には、自分が恋による失意の中にいるので、雁の飛び立つ姿までが我が身のようだと思われる。だから、それを詠まずにはいられなかったのだ。
作者は、男とも女とも考えられる。「我が身」とあるから、恋人と心だけではなく、実際に離れることになったのだ。事情は様々想像されるが、それまで二人は一緒に暮らしていたことがわかる。心の問題だけではないのだ。それを見る見るうちに遠ざかる雁の姿によってイメージ化している。そのため、作者の戸惑いと悲しみがよく伝わってくる。編集者は、この題材をたとえに使った効果を評価したのだろう。
コメント
飛び立ち離れて行く雁に自らを重ねる。相手からではなく、離れて行くのは自分。思い人との間に何があったかは描かれていない。目指す先が「雲ゐ」、単に遠方へ行く為に別れると言うのではなく、大切な人を残してこの世を去る人の言葉のようにさえ聞こえて来ます。深まる秋、肌寒さも手伝って何とも寂しいです。
相手から遠ざかる自分の身を悲しいと感じる具体的な場面にはどのようなものがあるでしょう。なるほど、死別もそれですね。その他にも、やむを得ない事情で離れていく場合がありそうです。それは読み手に任されています。