《心の不思議》

題しらす よみ人しらす

わひはつるときさへもののかなしきはいつこをしのふなみたなるらむ (813)

侘び果つる時さへものの愛しきはいづこを偲ぶ涙なるらむ

「題知らず 詠み人知らず
すっかり生きる気力を失った時までも何か愛しいのは、どこを懐かしんでいる涙であるのだろうか。」

「(時)さへ」は、副助詞で添加を表す。「(涙)なるらむ」の「なる」は、助動詞「なり」の連体形で断定を表す。「らむ」は、助動詞「らむ」の連体形で現在推量を表す。
あの人に捨てられて、そのつらさにすっかり生きる気力が無くなってしまった時までも何かあの人が愛しくて涙が流れてならない。この涙は、あの人のどこを懐かしく思い出している涙なのだろうか。
捨てられてこれ以上ないほどつらくてならないのに、それでも涙が流れるほど愛しくてならない。その心の不思議さを言う。しかし、実は、作者はこうして恋の名残を愛おしんでいるのである。
恋心とは、不思議なもの、理屈通りには行かないもの、矛盾をはらんだもの。失恋のつらさが心に行き渡っても、恋人への愛しさは消えない。しかし、その愛しさを味わうのも恋のうちなのである。この歌には、その発見がある。それを「さへ」「なる」「らむ」の助詞・助動詞を用いて的確に表している。編集者は、その発見と表現を評価したのだろう。

コメント

  1. まりりん より:

    失恋して哀しみの中にいるのに、何故か温かさを感じます。相手を愛しく想う気持ちが溢れているからでしょうか。
    作者は、哀しみさえも「楽しんで」いる?

    • 山川 信一 より:

      その昔沢田研二が『憎みきれないろくでなし』という歌を歌いました。ご存じですか?ひどいヤツなのに涙が出るほど愛しい。恋にはそんな感情もありますよね。また、そんな自分に浸ることも。これを含めて恋なのでしょう。

  2. すいわ より:

    もうどうあっても取り戻しようのない恋。そんな時でさえあなたとの事を思うと涙が溢れる。この涙は一体、この恋のいつを思って零れるものなのか?
    終わった恋。考えても仕方がないけれど、思い返せば涙が流れる。でもこの恋の始まりから終わりまで、私はどんな涙を流して来ただろう。出会い、ときめき、思うだけで胸が高鳴る。伝わらないもどかしさに涙したこともあった。思いを遂げ熱い涙を流したこともあった。そして今、、。別れてしまったけれど、確かに恋した。
    「ときさへもののかなしきは」の「かなしき」に「愛しき」の字をあてるのですね。さすがです。

    • 山川 信一 より:

      恋への思いなのですが、「いつこをしのふ」とあるから、時系列ではなく現時点での思いなのでしょう。こんな目に遭わされて、「あの人にはいいところなんてどこにも無いはずなのに、涙が流れるのはあの人の一体どこに愛しさを感じているからなのか」というのでしょう。

タイトルとURLをコピーしました