《恋の見栄》

題しらす よみ人しらす

それをたにおもふこととてわかやとをみきとないひそひとのきかくに (811)

それをだに思ふ事とて我が宿を見きとな言ひそ人の聞かくに

「題知らず 詠み人知らず
それだけを思うこととして。我が家を見たと言わないでくれ。人が聞くことに。」

「だに」は、副助詞で最低限度を表す。「(見)き」は、助動詞「き」の終止形で過去を表す。「な(言ひ)そ」の「な」は副詞で「そ」と呼応して禁止を表す。「そ」は、終助詞で禁止を表す。「聞かくに」の「聞か」は、四段活用の動詞「聞く」の未然形。「く」は、準体助詞。「に」は、格助詞で対象を表す。
私はせめてそれだけをあなたが私を思う証しとして生きていこうと思います。どうか私の家の戸を見たと言わないでください。人が聞くことに対して。
作者は、恋が終わったという噂が広がるのを恐れている。恋の終わりは受け入れる。けれども、自分が捨てられたという噂が広がるのは避けたい。これ以上惨めな女になりたくないからである。
人には、誰でも見栄がある。この歌は、その心理を取り上げている。ただし、それはあからさまに言うことではない。だから、遠回しに言うことになる。この歌の構造はその心理に対応している。「それ」と言い、指示内容を後回しにする。二箇所で切り、歌の調べをわざとたどたどしくし、情報を小出しにする。「我が宿を見き」という婉曲表現を使う。編集者は、この内容と表現の対応を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    世間の人はあれやこれやと口さがないものだから、あなたは誰にどんな事を尋ねられても「あの人の家の様子を見た」とは言わないで下さい。どうせ別れた事を根掘り葉掘り尋ねられるばかりだろうから、、こんな感じでしょうか?どうもよく分かりません。「それ」が何を指すのか分かりにくい。「あの人の家を見た」と人に言うことが特別な意味を持つのか?恋を綺麗に終わらせるために瑣末な煩わしい外野の声を遠ざけるだけのせめてもの配慮が欲しいと乞うている、と受け取れば良いのでしょうか?

    • 山川 信一 より:

      「我が宿を見き」は、相手が自分を訪ねてきた、つまり、深い関係にあったことの婉曲表現でしょう。ここにも見栄が現れています。わかりにくくするのもわかりにくくするのも見栄の表れです。「それ」が指すのは、「我が宿を見き」ということです。相手がそれを口にしなければ、この恋を無かったこととして済ますこともできるからです。つまり、たとえ噂が立っても「無き名」にすることができます。前の歌とは、噂繋がりです。

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