《失恋の内省》

題しらす よみ人しらす

こころこそうたてにくけれそめさらはうつろふこともをしからましや (796)

心こそうたて憎けれそめざらば移ろうことも愛しからましや

「題知らず 詠み人知らず
心が嫌で憎いが、染めなかったら色が変わることも愛おしいだろうなあ。」

「(心)こそ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を已然形にし次の文に逆接で繋げる。「憎けれ」は、形容詞「憎し」の已然形。「そめ」には、「染め」と「初め」が掛かっている。「(惜しから)ましや」の「まし」は、助動詞「まし」の終止形で反実仮想を表す。「や」は、終助詞で詠嘆を表す。
あの人の心が嫌で憎くてならない。しかし、私があの人を思い初め深く思い込まなかったら、あの人が心変わりすることもゆとりを持って可愛いと思うだろうになあ。ならば、悪いのは自分の心の方かも知らない。あの人に恋したために憎むことになったのだから。
前の歌とは、「染める」で繋がっている。恋することを「染める」とたとえている。恋四の貫之に歌に「色も無き心を人に染めしより移ろはんとは思ほえなくに」がある。この歌を踏まえているのだろう。なまじ恋したために、憎む心が生じてしまった。当てにならないのは、自分の心も同じだ。失恋すると、人はこんな風にあれこれと、堂々巡りに何が悪かったのかを考えるものである。この歌は、「こそ・・・憎けれ」とまず言い後の文に逆接で繋ぎ、後半で仮定と反実仮想を用いて思いを展開している。編集者は、この主題と歌の構成を評価したのだろう。

コメント

  1. まりりん より:

    関わってしまったばかりに苦しみを背負うことになった。関わらなければ、恋などしなければ、穏やかに大らかな気持ちで過ごせるのに…
    でも、矢張り恋せずにはいられなかったのでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      愛と憎しみは、表裏一体なのでしょう。愛すれば愛するほど、憎しみも生まれてしまいます。憎む心はつらい。しかし、それは愛する心が生み出したのもの。さて、まりりんさんなら、どうしますか?

  2. すいわ より:

    「あの人の心が憎い」と冒頭から強い調子で入っていますね。でも憎いのは心変わりした「心」で全部を否定していない。何故なら憎いと思ってしまうのは自分が相手の色に染まってしまって変われないから。あの人は心が別の人に移って別の人の色になってしまって、元の色と調和しない。私はかつてのあなたの色のまま。恋したもの負け、染まってしまった自業自得なのだ、と。この憎む気持ちで色も濁ってしまうのでしょう。

    • 山川 信一 より:

      恋するとはその人の色に染まること。しかし、色が変わることもある。ただし、その変わり方は人それぞれ。自分は変わらないのに、相手だけが変わることもある。何が悪いのか、悩みはつきません。

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