《死ぬなら一緒に》

心地そこなへりけるころ、あひしりて侍りける人のとはで心地おこたりてのち、とへりければ、よみてつかはしける 兵衛

してのやまふもとをみてそかへりにしつらきひとよりまつこえしとて (789)

心地損なへりける頃、逢ひ知りて侍りける人の訪はで心地怠りて後、訪へりければ、詠みて遣はしける 兵衛
死出の山麓を見てぞ帰りにし辛き人よりまづ越えじとて

「病気をしていた時分、交際しておりました人がやって来ず、病気がよくなった後、ようやくやってきたので、詠んでやった 兵衛
死出の山は麓を見て帰って来てしまいました。薄情なあなたより先に越えまいと思って。」

「(見て)ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(帰り)にし」の「に」は、助動詞「ぬ」の連用形で完了を表す。「し」は、助動詞「き」の連体形で過去を表す。「(越え)じ」は、助動詞「じ」の終止形で打消意志を表す。
私は、あなたが訪ねてくださらない間に重い病気に罹り、危うく死ぬところでした。ご存じでしたか。それでも、何とか冥土にある死出の山を麓だけ見て、帰って来てしまいました。それは、薄情なあなたより先に一人で越えるとしたら癪に障るじゃありませんか、そんなことにはなるまいという意地からです。死出の山を越えるならあなたと一緒ですよ。
病気の時に見舞いにも来なかった男に嫌味を言いつつ、自分の、男への愛ほどを伝えている。恋愛は、怨念にも似た執念でもある。この歌は、その真実を「死出の山」という新鮮な題材によって表している。編集者はこの点を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    余程、病に苦しまれたのでしょうね、、。
    「一番辛い時に見舞いにも来ないで、今更、来るなんて!もう少しで死ぬところだったけれど、あんまり悔しくて引き返して来てしまったわ!貴方より先に死ぬなんて、死ぬに死にきれない!」
    これ、遅ればせの見舞いに来て会ってもらえずにこの歌を受け取った感じでしょうか。男は「あぁ、やってしまった。まぁでも、元気そうで良かった」と帰って行ったのでしょうか。恋の熱というより、長い付き合いで慣れ親しんで緊張感の緩み故のすれ違いとでも言うのか。「死出の山」という言葉の深刻さをよそに面白みを感じてしまいました。

    • 山川 信一 より:

      人生は老病死苦が伴います。ならば、恋も老病死苦と共に有ります。この歌のような場面も当然出て来るでしょう。その時どんなことを思うでしょうか。嫌味の一言も言ってやりたくなるでしょう。「死ぬならあなたと一緒」にも、様々な色合いがあります。

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