題しらす とものり
あきかせはみをわけてしもふかなくにひとのこころのそらになるらむ (787)
秋風は身を分けてしも吹かなくに人の心の空になるらむ
「題知らず 友則
秋風は殊更身を分けて吹かないのに、どうして人の心が上の空になっているのだろうか。」
「(分けて)しも」は、副助詞で強意を表す。「なくに」は、連語で逆接の接続後を作る。「(なる)らむ」は、助動詞「らむ」の終止形で現在推量を表す。
秋風が吹く季節になった。それで人の心にも秋が来たのだろうか。秋風は人の中を中を吹き通りもしないのに、どうしてあの人の心は秋風が吹き抜けたように、心ここに在らずという状態になっているのだろうか。秋風は「飽き風」でもあったのか。
作者は季節にこと寄せて、恋人が心移りしてしまったことを嘆いている。しかし、この歌には贈ることで相手の心を自分に向けようという意志が感じられない。一人ぼやいているのだろう。
「秋風」は、待ち望んだ風である。ところが、良い面ばかりではない。人を心ここにあらずという状態にすることもあると、「秋風」のイメージを逆転させる面もある。この歌には、「秋風」へのそんな発見がある。編集者はこの点を評価したのだろう。
コメント
なるほど「秋風」を「飽き風」と捉えたのですね。
「心地良い風が吹くようになったね」
「まことに」
「‥‥」
同じものを同じように愛で同じものを同じように感じていると思っていた。
一瞬の違和感。
涼しく心地よい秋風が吹いている。その風は身を分け吹き抜ける訳でもないのに「飽き風」となって貴女の心を攫って行ったものか、心ここに在らずの様子。返された言葉が私にではないように思えた。見知らぬ人を見るような肌寒さ。私を顧みることもなく秋は深まって行く、、。
恋の終わりの予感、なす術もなく。
歌は世界で一番短いドラマです。なるほど、こんなドラマもありますね。その状況が見えてくる鑑賞です。恋はもう疾うに終わっていたのかも。気づかなかったのは、自分だけ・・・。