《中途半端な夫婦関係》

業平朝臣、きのありつねかむすめにすみけるを、うらむることありてしはしのあひたひるはきてゆふさりはかへりのみしけれはよみてつかはしける きのありつねかむすめ

あまくものよそにもひとのなりゆくかさすかにめにはみゆるものから (784)

業平朝臣、紀有常が女に住みけるを、恨むることありてしばしの間、昼は来て、夕さりは帰りのみしければ、詠みて遣わしける 紀有常が女
天雲の余所にも人のなりゆくかさすがに目には見ゆるものから

「業平朝臣、紀有常の娘に通って夫婦関係になっていたが、恨むことがあってしばらくの間、昼は来て夕方になると帰ることばかりしたので、詠んでやった。 紀有常の娘
天雲のように遠く離れたものに人はなっていくなあ。さすがに目には見えるけれども。」

「あまくもの」は、「天雲の」の意で「余所」の枕詞。これに「雨雲」が掛かっている。「(余所に)も」は、係助詞で含みを持たせている。「(なりゆく)か」は、終助詞で詠嘆を表す。「(見ゆる)ものから」は、接続助詞で逆接を表す。
天雲のように遠く離れた余所余所しい関係にあなたはなっていくことだなあ。そうは言ってもやはり、空の彼方に天雲が見えるようにあなたのお姿は見えますが、その雲は今にも雨を降らさんばかりの雨雲なのでしょうか。
作者は、相手の当てつけがましい態度に耐えられず、その真意を聞こうとしている。枕詞の「あまくもの」が利いている。「あまくも」は、目には見えるけれども遠く離れている「天雲」である。しかも、今にも雨を降らさんばかりの「雨雲」でもある。したがって、今の中途半端な夫婦関係をよく表している。編集者は、この枕詞の使い方を評価したのだろう。こうしてみると、歌によるコミュニケーションの方法は捨て難い。なお、この歌は『伊勢物語』第十九段に設定を変えて出ている。別の設定も考えたくなる、読み手の想像力を刺激する歌である。

コメント

  1. すいわ より:

    伊勢物語十九段ではそこそこ地位の高い女が自分の行いを棚上げしてこの歌を男に送っていました。
    何があったかはこの歌からだけでは分かりませんが、あの業平がここまでヘソを曲げるとは!詠み手の方に疎遠にされるだけの原因があって、本人がその事に後ろめたさも覚えているようなニュアンスを感じさせます。その姿を見ることは出来てもどんどん手の届かない所へと離れて行ってしまう空の雲と同じで貴方の心も離れて行ってしまうのかしら、、意地を張らなければ貴方の心を曇らせることもなかったのに。義理で義務感で顔出しされる事が殊更に女のこころを抉るのでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      どうやら、業平が女がこの歌を詠まざるを得ないところに追い込んだようです。態度で歌のやり取りを仕掛けたのです。男からこんな態度を取られれば、女は何か言いたくなるはずですから。自分から先に気持ちを言わないところがしたたかです。

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