返し 小野さたき
ひとをおもふこころのこのはにあらはこそかせのまにまにちりもみたれめ (783)
人を思ふ心の木の葉にあらばこそ風のまにまに散りも乱れめ
「返し 小野貞木
人を思う心が木の葉であるのなら、風のままに散り乱れるのだろうが・・・。」
「(あら)ばこそ」の「ば」は、接続助詞で仮定を表す。「こそ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を已然形にし次の文に逆接で繋げる。「(散り)も」は、係助詞で強調を表す。「(乱れ)め」は、助動詞「む」の已然形で推量を表す。
あなたを思う私の心がもし木の葉であったなら、風の吹くままに散り乱れるでしょう。けれど、私の言葉は木の葉ではありません。他から何を言われようと、散ることも乱れることもありません。もちろん、あなたを思う心は変わりません。私の心は他の女に移りはしませんよ。
作者は、相手のたとえを逆手にとって言い訳をしている。ただし、この歌は小町にとって待ってましたの内容である。たぶん、事実として、作者の心は小町から離れていたに違いない。しかし、作者は小町のこの歌に心が動かされた。少なくとも、こう詠まざるを得なかった。ならば、この歌は、小町が詠ませたのである。小町の作戦勝ちである。編集者は、こうした歌の力を示したのだろう。
コメント
「ひとをおもふこころのこのはに」、字余り字余り、充分に心乱されていますね。前回の歌を受け取って慌てて返歌した風を敢えて装って散り散りと舞う木の葉を印象付け、「言葉」に表現しなかった本心はそれとは違う事を際立たせようとしたのでしょうか?
恋の駆け引き、この歌を返さざるを得ない状況を作り出した小町に軍配が上がりそうですね。
いい読みですね。納得しました。確かにこれは意識的な字余りですね。慌てて心が整わないうちに返歌した様を装っているようです。小町の恋の相手ですから、貞木さんもなかなかですね。ここは、取り敢えず小町に合わせておこうといったところでしょうか。
前の歌を贈られて、動揺しているのでしょうか。作者は、他の女性に気持ちが移りかかったところで、また小町に引き戻された。歌の力、、すごい才能ですね。
当時は、その人物の魅力は歌の才と繋がっていたのでしょう。いい歌を詠む人が魅力的な人なのです。現在なら何でしょうね。多様化しているかな?