題しらす 雲林院のみこ
ふきまよふのかせをさむみあきはきのうつりもゆくかひとのこころの (781)
吹き迷ふ野風を寒み秋萩の移りも行くか人の心の
「題知らず 雲林院の親王
吹き迷う野の風が寒いので秋萩のように色が変わってもゆくことだなあ、あの人の心が。」
「吹き迷ふ野風を寒み秋萩の」は、「移り」を導く序詞。「風を寒み」の「を」は、格助詞、「み」は接尾辞で、全体で「風が寒いので」の意を表す。「(移り)も」は、係助詞で強調を表す。「(行く)か」は、終助詞で詠嘆を表す。以下は、倒置になっている。
野を吹く風があちらこちら方角を定めず吹いてくる。秋萩がその風を寒がって色が褪せていく。その秋萩のように、あの人の心も世間の冷たい評判に晒され、止む無く他の人に移っていくことだなあ。
序詞は、野風が「吹き惑ふ」と細やかに表現されている。野風があちらこちらから方角を定めずに吹くので、秋萩には逃げ道がない。野風に吹かれるままである。その冷たい風によって、秋萩の葉は色も変わっていく。その様子に相手が置かれている状況を重ねた。つまり、相手の心が他の人に移るのを不可抗力と捉えている。これは、諦めと自分への慰めの境地である。「吹き迷ふ野風を寒み秋萩の」は、「移り」を導く序詞であるが、その中の「野風を寒み」は、「秋萩の」を越えて「移りも行くか」に掛かる。序詞のこの使い方が単純ではなく、新鮮である。また、第四句で切れ、以下が倒置になっている。そのことで、ここまで読んで、初めて歌の主旨がわかる仕掛になっている。編集者は、こうした内容と表現を評価したのだろう。
コメント
本来であれば一、ニ、五、三、四句の順の内容が風で吹き散らされて配置が乱れ、中心にあるはずの五句目が最後に追いやられ、吹き惑う風の流れが可視化されているかのようです。「ひとのこころ」が五句目に遠退き離れる事でより強調されます。
冷たい風(噂)に翻弄され揺れる萩、移ろう季節と共に葉(心)の色も変わって行く。寒さが身に染みます。
この歌は、四句までで意味が一応完結しています。「吹き迷ふ野風を寒み秋萩の移りも行くか(吹き迷う野の風が寒いので秋萩の色が変わってもゆくことだなあ)」ところが、第五句で意味がひっくり返るのです。「ええっ?人の心の頃だったんだ!」と。作者はその意外性を狙ったのでしょう。
秋萩が、冷たい風に晒されて色が褪せ、しまいには枯れていく。同じように人の心も世間の冷たい風に吹きさらされると、次第に褪せて色を失う。そして最後には心変わりしてしまう… 秋萩と人の心を重ね合わせた発想を、とても新鮮に感じました。
確かに、心が変わることが秋萩が朽ち果てる様によってイメージ化されますね。こういう発見は、初めて言った者勝ちですね。