《関係改善》

仲平朝臣あひしりて侍りけるをかれ方になりにけれは、ちちかやまとのかみに侍りけるもとへまかるとてよみてつかはしける 伊勢

みわのやまいかにまちみむとしふともたつぬるひともあらしとおもへは (780)

三輪の山いかに待ち見む年経とも訪ぬる人もあらじと思へば

「仲平朝臣と親密な仲でしたのが、遠退き加減になってしまったので、父親が大和の国守でありました、その元へ行くということになって、詠んでやった 伊勢
三輪山をいかに待って見るのだろう。年が経っても、ここを訪ねる人もあるまいと思うと。」

「(待ち見)む」は、推量の助動詞「む」の連体形。以下は、倒置になっている。「(あら)じ」は、打消推量の助動詞「じ」の終止形。「(思へ)ば」は、接続助詞で原因理由を表す。
私は、この度父が国守をする大和へ参ります。大和では、三輪山の辺りをどんな思いで待ち見るのでしょうか。なぜなら、いくら年を重ねても、誰も訪れてくれないだろうと思うからです。多分、あなたも。それで、絶望的な気持ちになります。
前の歌とは、地名を詠み込んだ歌繋がりである。詞書と共に状況がより具体的に描かれている。それによって、距離的に離れることでますます心も遠退いてしまうことへの不安を表している。一方、「三輪の山いかに待ち見む」の「む」と「訪ぬる人もあらじ」の「じ」によって、未来のこととして語る。それには相手への期待が込められている。また、相手だけでなく他にも「訪ぬる人もあらじ」と言うことで哀れさを誘い、転居をむしろ関係改善のきっかけにしようとさえする。編集者は、作者のこのしたたかな心理を捉えた点を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    疎遠になって、もう心がないと言うのなら知らせる必要もない。まだ心が残っているからこそ「逢えなくなる」状況を利用して振り向かせようということなのか?
    この度は父のいる大和へ移ることとなりました。月日を経て四季が移ろっても誰一人訪れることはないと思えるこの地で、貴方を待ってどんな気持ちでただ一人、三輪のお山を見ることになるのでしょう、、。
    誰も来ない心細さを見せ、そんな場所にもし貴方が来て下さったのなら、、と仲平朝臣がどう出るのか様子伺いするのですね。駆け引きしているように見せない所がモテる女の腕前ですね。

    • 山川 信一 より:

      作者は諦めきってはいないようです。仲平朝臣の心に働きかけています。男心を知っているのでしょうね。

  2. まりりん より:

    既に疎遠になっている人に対して、この先ずっと誰も来てくれないだろうから寂しい…とは、下手に出過ぎていませんかね?
    もっと堂々としていて欲しい気がします。このように弱味を見せて、関係が良くなるでしょうか?

    • 山川 信一 より:

      恋は駆け引きです。時には弱みを見せた方が効果的な場合もあります。少なくとも女の場合は。要するに、何を大事にするかです。恋なのか、プライドなのか。

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