《恋の終わり》

題しらす よみ人しらす

たまかつらいまはたゆとやふくかせのおとにもひとのきこえさるらむ (762)

玉鬘今は絶ゆとや吹く風の音にも人の聞こえざるらむ

「題知らず 詠み人知らず
今は絶えるというので、人づてにも人が聞こえて来ないのだろうか。」

「玉鬘」は、「絶ゆ」の枕詞。「(絶ゆ)とや」の「と」は、格助詞で原因を表す。「や」は、係助詞で疑問を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「吹く風の」は、「音」の枕詞。「(聞こえ)ざるらむ」の「ざる」は、打消の助動詞「ず」の連体形。「らむ」は、現在推量の助動詞「らむ」の終止形。
今は私から切れたと伝わっているからだろうか。あの人が自身で訪ねてくることはもとより、言伝にも手紙にも噂にもあの人の消息が何一つ聞こえて来ない。
自分から終わりにしたつもりもないのに、恋は終わってしまったのか、相手に関する何の消息も聞こえてこない。そのことへの不満を述べている。
恋の終わり方は様々である。はっきりとした終わる場合もあれば、いつの間にか終わってしまう場合もある。この歌は、後者を詠んでいる。自分が恋を終わらせた覚えはない。なのに、いつの間にか終わったことになっている。相手の消息が何もわからないので、そう思わざるを得ない。なるほど、長く伸びた鬘の蔓もいつかは切れる。知らないうちに隙間風が吹き始めることもある。恋も同様であると「玉鬘」と「吹く風の」の枕詞が暗示している。編集者は、この枕詞の使い方を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    「玉蔓」、蔓性の植物の伸びた先がぷつり切れるイメージなのですね。最初、髪飾りを思い浮かべ、大切な玉(思い出)を連ねた緒がぷつりと切れて散り散りになるイメージが浮かんだのですが、それだと後半に繋がらない。植物の蔓と捉えた方が自然でした。
    気付かぬうちに途絶えていた。あなたの事が噂にも聞こえてすら来ない。しなやかなはずの蔓がいつの間にか枯れて軋んで、無理に伸ばそうとして折り切れる。カサカサと乾いた殺風景な質感。荒涼として、終わるにしても、あまりにもの寂しいですね。

    • 山川 信一 より:

      あるいは、吹く風が蔓を枯らしてそこで絶える感じでしょうか。「カサカサと乾いた」質感がありますね。取り残され、忘れ去られた寂しさが伝わってきます。

  2. まりりん より:

    この恋は自然消滅してしまったのですね。倦怠期を迎えてお互いを思いやれなくなった。。あるいは、飽きてしまって足が遠のいたか。いずれにしても、作者にはまだ未練が残っているのでしょうか。噂が聞こえてこない事で心乱されるなら、まだ気持ちが残っているように思えます
    。でもこの作者、復縁などは、プライドが許さないでしょうね。吹く風 は、2人の間のすきま風も連想させます。

    • 山川 信一 より:

      『古今和歌集』は、物事の普遍性を追求した歌集です。普遍性とは、平たく言えば、「あるある」です。終わりがはっきりしない恋もありますよね。それに対しては、どういう気持ちを抱いたらいいのでしょうか?宙ぶらりんで気持ちの収まりが付きません。この歌はそんな思いを詠んだのでしょう。

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