《思いの丈》

中納音源ののほるの朝臣のあふみのすけに侍りける時、よみてやれりける  閑院

あふさかのゆふつけとりにあらはこそきみかゆききをなくなくもみめ (740)

相坂の木綿付け鶏にあらばこそ君が行き来を泣く泣くも見め

「中納言源昇の朝臣が近江の介でございました時、詠んで贈った 閑院
私が逢坂の関の木綿付け鶏であったら、君の行き来を泣く泣くでも見るだろうが・・・。」

「(あら)ばこそ」の「ば」は、接続助詞で仮定を表す。「こそ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を已然形にし後の文に逆接で繋げる。「(見)め」は、推量の助動詞「む」の已然形。
あなたは近江の介におなりになり、逢坂の関を超えて山城国と近江国を行き来することになりました。私のところに通ってくださらないのはそのためですね。ならば、私は逢坂の関の木綿付け鶏になって、あなたを泣く泣く見送るでしょうが、鶏ならぬ私はそれも許されない哀れな身なのです。
男の出世により捨てられた女の嘆きである。
残念なことに、これもいつの世も変わらぬ男女の別れの形である。こんな時、女は思いの丈を訴えるしかない。少なくとも、男に自分のしたことの意味(罪)を思い知らせることはできる。歌はそのための有効な手段になる。この歌は、この男女が置かれた状況と女の思いをよく表している。編集者は、その点を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    「君」と呼びかけるだけの間柄だったというのに、いざ出世し近隣の国へ赴任するとなったら同行できない。せめての見送りに手を取り合って泣きの涙で別れを惜しみたい所なのに声を掛けることすら出来ない。なぜなら貴方の隣に連れ添う人がいるから。私が木綿付け鳥であったなら声をあげて泣くことも出来るのに。貴方が行き来なさる度、そんな思いで心乱れるのです、と。赴任先が近いからこそ頻繁に行き来があり、その度に見せつけられる。女は一言言わずにはいられないでしょう。逢坂の関でせめてこちらに振り向かせたい。でも男は背中を見せるばかりなのでしょう。

    • 山川 信一 より:

      近隣の国の「介」ですから、それだけでこの男が有力者であることがわかります。男はこれから出生街道まっしぐらです。身分の低い時の女は得てして捨てられることになります。こうなると、女にできることは限られてしまいますね。

  2. まりりん より:

    これも恨み言ですね。男は自分の出世に歓喜し新しい赴任先の事で頭がいっぱいで、捨てていく女の事など余り意に介していないでしょうか。だとしたら、女にとっては辛すぎます。赴任先が近い分、行き来を何度も目にすることになるのは酷ですね。せめて木綿付け鳥のように鳴く事が出来れば気も紛れるのに…

    • 山川 信一 より:

      男はこの歌によって、逢坂の関を行き来する度に作者を思わずにはいられないでしょう。効果的な復讐になりました。

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