《せつない女心》

題しらす よるかの朝臣

たまほこのみちはつねにもまとはなむひとをとふともわれかとおもはむ (738)

玉桙の道は常にも惑はなむ人を訪ふとも我かと思はむ

「題知らず 因香の朝臣
道はいつも間違えてほしい。他の人を訪ねても私かと思うだろう。」

「玉桙の」は「道」の枕詞。「(惑は)なむ」は、終助詞で願望を表す。「(我)か」は、終助詞で疑問を表す。「(思は)む」は、推量の助動詞「む」の終止形。
あなたが愛人を訪ね来る道は、今日だけでなくいつも間違えてほしいな。もしそうなら、あなたが私でない他の人を訪ねても、私を訪ね来たのかと思うでしょうから。
別れた男が訪ねて来た。道を間違えたのである。夜が暗かったからなのか、長年の習慣に従ってしまったからなのか。理由はともかく、間違えでもいいから訪ねてほしいと願う。
間違えから恋が復活することもある。長年培ってきたものは、容易に崩れない。この歌は、恋の復活を期待する女のせつない思いを詠んでいる。こうしたケースでは、何を優先するかが問題になる。恋の復活なのか、己のプライドや意地なのか。女はプライドや意地を捨てて、恋の復活を望んだのだ。この歌はそんな女心が「(惑は)なむ」と「(思は)む」に表れている。編集者は、それを評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    いつまでも気持ちを残して今はお別れなどと言われたら期待してしまいますね。案の定、こんな始末。恋の形見を突き返してしまっても、本人を目の前にしてしまったら心が溢れ出してしまう。罪な男のうっかりした行動も見て見ぬふり、知らぬふりで受け入れてしまう。貴方が来てくださるのなら、それが本当は別の人のための来訪だとしても。こうしてずっと迷い道にあればいい。その先が私のもとならと願ってしまう、、。惚れたもの負け、厄介な相手に恋したものです。

    • 山川 信一 より:

      まさに恋は「惚れた物負け」ですね。嘘でも優しくされたら抵抗できません。理性を超えてしまうのが恋というものです。

  2. まりりん より:

    別れたはずの男が訪ねてきた。これは夢?
    忘れかけていた筈なのに、思いがけない再訪に恋しい気持ちに火が付いてしまった。。
    この歌も、別れた後にも自分を忘れないで欲しいと思う気持ちが溢れていますね。
    この時代は、別れてからも恋はずっと続いていたのですね。ロマンティックです。

    • 山川 信一 より:

      恋は物事を自分に都合よく解してしまう一面があります。たとえ本当はそうじゃなくても、そう思い込めばその時は幸せかもしれません。一方、男はそんな女に弱い。健気に思うからでしょう。

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