題しらす よみ人しらす
ほりえこくたななしをふねこきかへりおなしひとにやこひわたりなむ (732)
堀江漕ぐたな無し小舟漕ぎ帰り同じ人にや恋ひ渡りなむ
「題知らず 詠み人知らず
堀江を漕ぐ舟棚も無い小舟が漕いでは元に戻るように同じ人に恋い続けてしまうのだろうか。」
上の句は下の句の序になっている。「(人)にや」の「に」は、格助詞で対象を表す。「や」は、係助詞で疑問を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(恋ひ渡り)なむ」の「な」は、完了の助動詞「ぬ」の未然形。「む」は、推量の助動詞「む」の連体形。
難波の堀江に舟棚もない小さな小舟が漕ぎ出し、一旦陸を離れてもまた戻ってきました。私は、まるでその棚無し小舟のようです。あなたから離れてもまたあなたの所に戻ってきます。結局同じ人にずっと恋し続けるのでしょう。
作者は、恋を再開しようとしている。そのためには、一度離れた自分の行為を正当化し、相手に納得させなければならない。そこで、自分の心を棚無し小舟にたとえることで視覚化する。棚無し小舟なので、それほど遠くに行くことはない。一旦離れてもそれは織り込み済みのことで、必ず元に戻ることになっていると言いたいのである。
この歌は、全く無関係の二つを結びつけることで説得力を生み出している。作者の心と限られた範囲を往き来する「棚無し小舟」に共通点を発見した。そこに独自性がある。また、「にや・・・なむ」という表現は押しつけがましくない。相手への気遣いがある。編集者は、一度終わった恋を再び始めるためのお手本の歌と考えたのだろう。
コメント
小さな浮舟、波に流されあちらへこちらへ。それでも戻る時は自分の意思で漕ぎ帰る。私が戻ろうとするのは貴女の元。つまるところ私はあなたという内海の懐を出る事なく恋い慕い続けるのだろう、、。「漕ぐ」にさりげなく詠み手の意思を潜ませて再びの手を差し伸べて。内海の穏やかさで誘われて、さて、手を取ってもらえるでしょうか。
なるほど、「堀江漕ぐたな無し小舟」は、「あなたという内海の懐を出る事なく恋い慕い続ける」姿をたとえる。この鑑賞に納得します。これなら、女の心も動きそうです。
作者は、自分を「棚なし小舟」に喩えている。これは、二つのことを言っているように思えました。
一つ目は、先生が仰るように、小さな船だから所詮狭い範囲を行ったり来たりするだけ、つまり相手から気持ちが遠く離れてしまうことはない、と言っている。
二つ目は、こんな粗末な小さな小舟だから、あなたが手を差し伸べてくれなかったら波に攫われて海に隠れてしまいます、と。
恋の復活を願って、敢えて自分を卑小化したのでしょう。そのためには女性の母性本能?にさえも訴えます。二つ目は、そんな気持ちでしょうか?