《相手の心変わり》

題しらす よみ人しらす

ちちのいろにうつろふらめとしらなくにこころしあきのもみちならねは (726)

千々の色に移ろふらめと知らなくに心し秋の紅葉ならねは

「題知らず 詠み人知らず
様々な色に変わっているだろうけれど、わからないことだなあ。人の心は秋の紅葉でないので。」

「(移ろふ)らめ」は、現在推量の助動詞「らむ」の已然形。「(知ら)なくに」は、連語で打消の意を伴った詠嘆を表す。「(心)し」は、副助詞で強意を表す。「(紅葉)ならねば」の「なら」は、断定の助動詞「なり」の未然形。「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形。「ば」は、接続助詞で原因理由を表す。
あなたの心は、秋風が吹いて様々に移り変わっているのでしょうね。そう思うと、悲しくてなりません。けれど、私にはよくわからないのです。なぜなら、人の心は、移り変わっても、秋の紅葉のように目には見えることがないのですから。私は今でもあなたが変わらずにいると思い込んでいましたよ。
心変わりしてしまった相手をやんわり非難している。もう元のように戻れないことはわかっている。けれど、少なくとも歌の上では自分が有利にこの恋を終わらせたいのだろう。
この歌も前の歌の返歌として読める。「秋風に靡く浅茅の色」を受けて「秋の紅葉」が「千々の色に移ろふ」と応じている。こうなると、意地の張り合いである。この歌は、そんな心理がよく表れている。編集者は、こうしたやり取りに読めるようにこの歌を採用したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    前の歌では敢えて劇的に色が変化する紅葉でなく、「浅い」に掛ける事もあってか風まかせに靡いてしまう「浅茅」を選んで相手の行動を可視化、非難しておりましたが、だったら色彩で勝負、と今度は「秋(飽き)が来て木の葉(心)もとりどりに色付いて変わっていることだろうけれど、まさか人の心が紅葉の如く変わるなんて思いもよらなかった」と返す。例えばこれが本当に恋人(だった)同士のやり取りだとしたら、どれ程お互いに関心があるのかと思う程です。恋の副産物、何処までも続きそうです。

    • 山川 信一 より:

      もうこの段階では、歌としてのやり取りに終始しているようですね。恋そのものはどこへやら。いや、こうしたやり取りも恋のうちなのでしょうか。

  2. まりりん より:

    この歌、嫌味ですね。このように意地を張り合っている内に、残っていた未練も消えるのでしょうか。だとすれば、この歌の応酬も意味があるのかもしれません。第3者としては、そろそろ許してあげたら、、と思ってしまいますが。

    • 山川 信一 より:

      作者は自分が有利にこの恋を終わらせようとしているのでしょう。悪いのは相手であって、自分は被害者なのだと。恋は人をしつこくするようです。「第3者としては、そろそろ許してあげたら、、と思ってしまいますが。」同感です。傍から見てもうんざりですね。

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