題しらす 融(河原左大臣)
みちのくのしのふもちすりたれゆゑにみたれむとおもふわれならなくに (724)
陸奥の信夫綟摺り誰故に乱れむと思ふ我ならなくに
「題知らず 源融(河原左大臣)
東北の信夫綟摺りのように他の誰かによって乱れると思う私ではないのに。」
「陸奥の信夫綟摺り」は、「乱れ」を導く序詞。「しのぶ」は、地名の「信夫」と「忍ぶ」が掛かっている。「(乱れ)む」は、推量の助動詞「む」の終止形。「(我)ならなくに」の「なら」は、断定の助動詞「なり」の未然形。「なくに」は、連語で打消の意味を込めた詠嘆を表す。
東北の福島県信夫郡から産出した忍草の色素で染めた摺り衣をご存じですね。乱れ模様が特徴的なあの摺り衣です。私の心は、あなたと別れた後どんなに忍んでも、その乱れ模様のように乱れることでしょう。あなた以外の誰かのためにそうなるだろうと思う私ではありません。私の心が乱れるのは、もちろんあなたのせいなのですよ。
作者は、別れを受け入れることができない自分の未練を相手の視覚に訴えることで伝えている。
この歌は、別れた当座の男の心を詠んでいる。やはり、女のようには切り替えられないようだ。今更どうにもならないとわかっていてもこう言わずにはいられない。そんな男の未練がましさがわかる。地名の「信夫」に「忍ぶ」を掛けて、「綟摺り」恋に乱れた心を視覚に訴えている。編集者は、この内容と表現を評価したのだろう。ちなみに、『伊勢物語』(第一段)や『百人一首』には、第四句が「乱れ初めにし」になっていて、恋の始まりの頃の歌になっている。
コメント
第四句のたった五文字でこんなにも景色が変わって見えるものなのですね。「乱れ初めにし」は制御出来ない湧き上がるような感情が伝わりましたが、「乱れむと思ふ」だと摺り込まれて消しようもない乱れた心模様に根深く侵食されて行くようなイメージが広がります。苦い思いのこの歌を伊勢物語では冒頭で全く違う印象の歌に昇華させていたのですね。
『古今和歌集』では、「む」を使い未来に心を馳せます。『伊勢物語』では、「し」を使い過去に目を向けています。『古今和歌集』にしても『伊勢物語』にしても、作り手の表現力に脱帽ですね。言葉の魅力に取り憑かれたら逃れようがありません。
これが、前の歌の返歌だとしたら、見事に返していますね。歌の出来は上々です。だから、形を変えて『伊勢物語』や『百人一首』に採られています。「女の方が一枚上手」と思いきや、男も負けていませんね。
自分の心の乱れを、摺り衣の乱れ模様で例えているのですね。相手の女性は、忍草の摺り衣を目にする度に思い出してしまいます。それが目的なのですね。自分を忘れてくれるな、と。確かに未練がましいです。前の歌で、せっかく美しくすっきり終わらせようとしているのに。この返歌では後を引いてしまいます。。
このまま引き下がるのは、男の沽券に関わると思ったのでしょうか。女の歌が見事だったために、作者は本気で対抗しています。関心は、現実より歌に移っているのかもしれませんね。