題しらす よみ人しらす
あかてこそおもはむなかははなれなめそをたにのちのわすれかたみに (717)
飽かでこそ思はむ仲は離れなめそをだに後の忘れ形見に
「題知らず 詠み人知らず
飽きないで思い合っている仲は離れてしまった方がいい。それをせめて後の忘れ形見にして。」
「(飽か)で」は、打消の意味を伴った接続助詞。「・・・ないで」の意。「こそ」は、係助詞で「こそ・・・め」の形で、「・・・した方がいい」「・・・すべきだ」の意を表す。「(思は)む」は、婉曲の助動詞「む」の連体形。「(離れ)なめ」の「な」は、完了の助動詞「ぬ」の未然形。「め」は、適当・当然の助動詞「む」の已然形。ここで切れる。以下は倒置になっている。「だに」は、副助詞で最小限を表す。
どうもこの恋は先が見えている気がします。お互い飽きずに愛し合っている仲でいるうちに別れた方がいいと思いませんか。せめて、飽きることなく別れたということを後の忘れ形見にして。だって、このまま行くところまで行ったら、嫌な思い出しか残らないではありませんか。この辺りが潮時です。この恋をいい思い出にしましょう。
作者は、まだ少し思いが残る相手に別れを切りだしている。いかに後腐れなく綺麗に別れるかに気を配っている。
前の歌以上に恋の段階が進んでいる。恋は終わろうとしている。恋をどう終わりにするか。これも恋のうちである。恋が冷めてくると、合理的な判断ができるようになる。そこで作者は、相手の理性に訴え、別れを受け入れさせようとしている。この歌は、その心理をよく捉えている。歌の構成は、まず「こそ・・・め」で別れを切りだし、倒置によってその理由を述べる。この展開に工夫がある。編集者はこうした点を評価したのだろう。
コメント
何と冷静な! このように綺麗に別れられるのでしょうか…相手の方が、素直に応じれば良いですが。。そうでなければ、次は修羅場がやって来ますね。
「きれいに終わる恋」というのを、私は知りません。忘形見 など、綺麗事に聞こえてしまいます。。
こんな別れの切り出し方もあるということでしょう。現実に上手く行くかどうかは別問題です。なぜなら、相手が自分と同じ程度の別れを望んでいるとは限らないからです。修羅場になることも十分にあり得ます。でも、待ってましたというケースもあるかも知れませんよ。恋はいろいろですから。
綺麗なまま、良い思い出だけを残すために、まだ好ましい気持ちを抱いているうちに別れよう、と。新しい恋人が出来たのでしょう、ここまで冷静に別れを切り出されたら、どうする事も出来ない。大人の分別顔のやり口。人の心模様は時代を超えても変わらないものですね。辛い思い、苦い思いの方が記憶には残るし後を引くもの、「綺麗なまま」の別れは思いの深さで言えば浅いのでしょう。思いが深かったらそもそも別れようとは思わないはずですし。「上手な恋の指南書」として皆こぞって「古今和歌集」読んだのでしょうね。
言っていることに間違いはありません。相手が受け入れてくれるかどうかは、ひとえに理性が働くかどうかに掛かっています。『古今和歌集』は、まさに「上手な恋の指南書」ですね。実際にこの通り行かなくても、参考にはなります。紫式部は、想像を逞しくしたことでしょうね。