《皮肉の匙加減》

題しらす よみ人しらす

いてひとはことのみそよきつきくさのうつしこころはいろことにして (711)

いで人は言のみぞよき月草のうつし心は色異にして

「題知らず 詠み人知らず
「いやもうあなたは言葉だけがごりっぱ。移り変わる本心は別なもので。」

「(言)のみぞよき」の「のみ」は、副助詞で限定を表す。「ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「よき」は、形容詞「よし」の連体形。「月草の」は、「うつし心」の枕詞。「うつし」は、「移し」と「現し」の掛詞。「色異」は、「月草」の縁語。「(異に)して」は、接続助詞で「・・・であって」の意を表す。
たまにいらっしゃったと思ったら、また調子のいいことばかりをおしゃって、ほんとにまあ、あなたはお言葉だけがご立派ですわね。そのくせ、ご本心はツユクサで染めた色が変わりやすいように移ろいやすい別物で・・・・・・。私はどうしようか決めかねています。
都合のいい言葉を言うだけで信用ならない男への嫌味である。ただし拒絶はしないで、相手の男の反応を探っている。
言葉では何とでも言える。本心は、言葉とは別物である。それをこの歌は、ツユクサで染めた色が変わりやすいことにたとえた。男への皮肉ではあるが、美しい「月草」のたとえによって、嫌味になりすぎないように気を遣っている。また、「色異にして」と言い切らず、含みを持たせている。つまり、ここで恋を終わらせるつもりはないのである。以上は、恋の駆け引きである。編集者は、こうした女心を巧みに表現している点を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    247番の歌にも「月草」出てきました。露草のことを月草というのか、とその時も思ったのですが、友禅染の下絵描きに使う「青花」も露草の一種だと思い出し、納得しました。染める為の染料ではなく消えるから使う染料として江戸期には利用されるようになりますが、平安の頃はあの花の目の覚めるような青を何とか手にしたかったのでしょう。でも、布にはなかなか留まらない儚い色。
    前の歌と比べると、拗ね方が一段上。
    「全くあなたったら、そんな風に持ち上げてもダメよ、あの月草みたいに実物と衣に移した色では全く別物なくらい、あなたの言うことなんて当てにならない。月の形が移ろうくらいあなたの心も当てにならない。」ツンと横向く女に、まぁまぁと機嫌を伺う男の姿が見えるようです。

    • 山川 信一 より:

      すいわさんは、染め物にも詳しいのですね。「月草」は、「染める為の染料ではなく消えるから使う染料として江戸期には利用され」ていたのですか。勉強になりました。
      なるほど「月」は形を変えるものですね。でも、どう可愛らしく拗ねるのかも腕の見せ所ではありますね。一方的に責めてはいけません。「月草」は、そんな働きもしていそうです。男が何か言いたくなるのような・・・。

    • まりりん より:

      へぇ〜、月草ってそうなのですね。染めるためではなくて消えるから使う染料とは、何だか儚げで神秘的です。
      恋人が調子の良いことを言っても、いつの間にか言わなかった事にされてしまう。うっかり信用など出来ない、と、やんわりと棘を刺しているようです。

      • 山川 信一 より:

        「月草」にそれだけの含みを持たせているとしたら(きっとそうなのでしょう)、歌を解釈するには、教養が必要ですね。一言もゆるがせには出来ませんね。侮りなどもっての外ということになります。

  2. すいわ より:

    「青花」の補足を。
    染料としての青花は野の花で見かける露草ではなく、花の大きさは5、6㌢くらいです。露草の名の通り朝のうちに花だけ摘んで染料にします。花の汁は保存が効かないので、和紙に染み込ませ乾燥、元の紙の重さの3倍くらになるまでこの工程を繰り返して出来上がるのが青花紙です。これを使う分だけ水に入れ、その青い色水で模様を描いていくのです。その模様に沿って糸目糊を乗せ水に浸すと青花の線は消えて糸目糊の線は残り、この後の色差しで色が混ざり合わない為の糊のワクが出来るのです。今ではこの青花紙を作る人もほぼいないようです。

    平安期には勿論、色を染めるために使われていた、「染まりにくい」色だったのだと思います。江戸期に生まれた友禅染はこの染まらなさを逆手に取ったものですね。青花、琵琶湖のあたりのほんの一部でしか今では栽培されていないとか。絶えていく文化です。

    • 山川 信一 より:

      すいわさん、補足をありがとうございます。素晴らしい教養ですが、この知識はどうやって身につけたのでしょう。これは、いわゆる一般教養やリベラル・アーツによるものではなさそうです。真の教養は、自らの関心によって、自ら広がり深めていくものですね。

      • すいわ より:

        10年ほど前に着付けを習いまして、様々な素材、染色法、織に触れる中、それらの技法に興味を覚え、あれこれ調べた中で知った事です。ですので特別詳しいと言うわけではありません。着付けの副産物です。
        染色の原料は当時は天然染料、草木染めが一般的。そうなると元の植物がどんなものなのか?元々の植物好きも手伝ってどんな土地で育つのかが気になり、土壌の性質は?他にどんな植物が育つのか?そこの風土文化は?、、と興味が広がってしまうのです。専門性は全くありません。子供の頃からこんな調子で一つの関心事から枝葉が広がり思わぬ所へ。でも色々なものが紐付けられて面白いですよ。まるで行き先の明かされていない旅に出るようなワクワクです!

        • 山川 信一 より:

          まるで学びのお手本ですね。物事はこんな風に学んでいくから、使える知識になるのですね。取り敢えず平均的知識を授けようとする今の学校教育と正反対です。生徒はそれが勉強だと学びます。だから、いくら学んでもその知識が生かされません。そして、ついに自ら学ぶことをしなくなります。でも、本当はすいわさんのように学ぶべきですね。私も見習いたいと思います。

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