《人妻への恋》

題しらす よみ人しらす

すまのあまのしほやくけふりかせをいたみおもはぬかたにたなひきにけり (708)

須磨の海人の塩焼く煙風を甚み思はぬ方に棚引きにけり

「題知らず 詠み人知らず
須磨の漁師が塩を焼く煙は風が激しいので、予想外の方向に棚引いてしまったなあ。」

「(風)を(甚)み」は、原因理由を表す。「(思は)ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。「(棚引き)にけり」の「に」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形。「けり」は、詠嘆の助動詞「けり」の終止形。
私がいる須磨では漁師が塩を焼いています。ところが、風が激しいので、その煙が思ってもみない方向に棚引いてしまいました。その煙は、まるで今のあなたのようです。私がこんなに愛しているのに、周囲の反対によって、私ではない他の男の妻になってしまったからです。今、私は、やりきれない思いで塩を焼く煙を眺めています。でも、それはあなたが私を嫌っているからではありませんよね。それだけが救いです。
今や人妻になってしまった恋人にやりきれない思いを伝えている。しかし、これは単なる嘆きではなさそうだ。あわよくば、人妻となってからも恋を継続したいと思い、女の心を動かそうとしている。自分の恋は結婚で終わりはしない、むしろ、恋はこれからなのだと言いたいのだ。
この歌は、情景を具体的に表現した歌である。ただし、情景はたとえになっている。結婚で引き裂かれて嘆くのも恋のうちと言うのだ。そのことは、この歌が「恋四」のこの場所に置かれているからわかる。そうでなければ、当事者でないとわからない。しかし、たとえだと思って読めば、この歌が詠まれるに到った様々な状況が想像できる。物語性を豊かに含んだたとえである。表現者は、このたとえを評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    塩を焼くのは恋人の手ではありませんね。思いを遂げたはずの人がまさか他の人の元へ嫁いでしまうとは思いもよらなかった。私との仲を酷く噂されることを恐れたのだろう、手塩にかけて育てた君の、涙を身内の者が炊きつけてしまったものか、煙は私の方に靡いてくることがない、、。イタリア歌曲のようにドラマチック。と思いましたが、伊勢物語の第百十二段でこの歌、「昔、男、ねむごろにいひちぎりける女の、ことざまになりにければ」と始まり、また違った顔の物語になっていた事を思い出しました。詞書の有る無しで違った景色に見えて来るのが面白いです。

    • 山川 信一 より:

      「海人の焼く塩」「煙」をどう読むかで物語は様々に生まれそうですね。翆和式部は、「イタリア歌曲」に仕立てましたか。『古今和歌集』は、本当にドラマチックですね。私の鑑賞は、『伊勢物語』にとらわれてしまいました。

  2. まりりん より:

    風の強さは想いの強さを現しているよう。 おもわぬかたに と言うけれど、本当は予感していたでしょうに。恋人は人妻になってしまったけれど、関係ない、自分は思い続ける、という意思を感じます。この時代の方、恋愛と結婚は別 と、現代人よりもっと割り切っていたように思えます。

    • 山川 信一 より:

      「煙風を甚み」をどう読むかですね。この「風」は、周囲の妨害をたとえているのか、別の男をたとえているのか、いずれにせよ、それはそれとして、嘆きつつも、作者は諦めていなさそうです。

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