題しらす よみ人しらす
さとひとのことはなつののしけくともかれゆくきみにあはさらめやは (704)
里人の言は夏野の繁くとも離れ行く君に逢はざらめやは
「題知らず 詠み人知らず
里人の噂は夏野の草が繁るように広まっても、遠退いて行く君に逢わないだろうか。」
「夏野の」は「繁く」の枕詞。「かれ」は、「夏草」の縁語で、「離れ」と「枯れ」の掛詞。「(逢は)ざらめやは」の「ざら」は、打消の助動詞「ず」の未然形。「め」は、意志の助動詞「む」の已然形。「やは」は、「や」も「は」も終助詞で反語を表す。詠嘆を伴う。
実家にお帰りになっても、噂は夏草が繁るように広まっていることでしょう。あなたはそれを憚って私から遠退いていくのでしょうか。しかし、私は、たとえあなたが遠退いても、あなたに逢わないことがありましょうか、そんなことはありません。噂などには負けることはありません。夏草がいつか枯れ行くように、いつか噂は離れていきます。けれども、私があなたから離れることはありません。
作者は天皇とは限らないけれど、この歌も、宮仕えの女官との恋の歌である。宮中での恋の噂が実家の周辺にも広がっている。それを憚って自分から遠退こうとしている恋人を引き留めようとしている。
「里人」により「君」の置かれている状況がわかる。「夏野の繁く」により季節や「里」の辺りの情景がわかる。「かれ(ゆく)」が「縁語」と「掛詞」の二重に働いている。「逢はざらめやは」と打消を伴った反語により作者の強い意志が表れている。編集者はこうした表現への細やかな配慮を評価したのだろう。
コメント
こんなに今が盛りと生い茂っている夏草だって時期が来れば枯れるのだから、噂話も皆そのうちに飽きて静かになるから気にする事はない。それでも貴女は私を気遣って私の元から去ろうとなさるのですか?
いくら離れる必要はないと言われたところで、女官の立場から考えれば、自分が身を引くしかないですよね。
身を引けば追い掛ける、それが恋なのでしょう。この歌はそんな恋のメカニズムを捉えていますね。
こちらの女官は宮中での噂に耐えられず実家へと帰ったものか。そんな彼女の身を案じての天皇からの歌。口さがない噂はあなたの里までも追って行ってあなたを悩ませることだろう。私から離れて行くあなた、そんなあなたを私は追わずにいられようか。逢わずにはいられない、、。夏草の勢いにも負けない天皇の思い、彼女に届くでしょうか。
恋は、禁じられるほど燃えるもの。立場の違いもそれに当てはまります。容易にことが進まないからこそ恋になるのでしょう。