題しらす よみ人しらす
みよしののおほかはのへのふちなみのなみにおもははわかこひめやは (699)
み吉野の大川の辺の藤波の並に思はば我が恋ひめやは
「題知らず 詠み人知らず
み吉野の大川の辺りの藤波ではないが、あなたを並に思うなら私が恋するだろうか。」
「み吉野の大川の辺の藤波の」は「並」を導く序詞。「(思は)ば」は、接続助詞で仮定を表す。「(恋ひ)めやは」の「め」は、推量の助動詞「む」の已然形。「やは」は、終助詞で反語を表す。
季節は初夏。美しい吉野には、大きな吉野川が流れています。その岸辺には、これも美しい藤の花が咲いています。その藤波を見ていると、藤襲の着物をおめしになったあなたとの逢瀬を思い出します。あなたのお姿を今も目にしているような気がします。藤の花は風に「波」うっていますが、私の心も藤「波」のように揺れ動いています。けれど、私のあなたへの思いは「並」ではありません。ひととおりに思うだけなら、この私があなたに恋することなどありましょうか、ありません。私の思いは特別のものなのです。
何度か逢瀬を重ねることができたのに、今では逢えなくなった恋人に旅先の吉野から贈ったのだろう。どこにいても、何を見ても忘れることがないことを伝えている。
実景を序詞にしている。この序詞は、「波」から「並」を導くだけでなく、季節、場所、恋人の着物の色も暗示している。含むところの多い序詞である。また、「我が恋ひめやは」は、「我が」と敢えて言い、「やは」と反語を用いて、思いの強さを表している。編集者は、こうした表現の工夫を評価したのだろう。
コメント
滔々と流れる吉野川。大きなうねりは川風を起こし川べりに咲き誇る藤の花を揺らす。都に貴女を残して私は今、吉野を通過するところです。貴女を思うとあの藤の花のように私の心は揺れるばかり。生半可の気持ちであったら、遠く離れてしまうことが分かっていて貴女に恋しましょうか。川の流れを止められないのと同様、恋せずにはいられないのです、、。川の流れが思いの強さを、藤の房の揺れが心の動きを可視化して女の元に紫の芳しい歌が届く。離れればこそ細やかに心を繋ぐ努力を惜しまないのですね。
自分の思いをどれだけ細やかに伝えるかが腕の見せ所ですね。離れれば尚更のことです。すいわさんの鑑賞は、素晴らしいです。相手の女性もこんな風に受け取ってくれればいいのですが。
絵画的な歌です。初夏の美しい景色が目に浮かびます。茂った葉の緑、空の青、波の白、そして藤色。色彩豊かで絵巻のよう。
風になびいて波うっている藤の花は、藤色の衣を纏った私そのもの。私の心も貴方を思って波のように揺れ動いています。
素敵な鑑賞です。確かに色彩感豊かな歌ですね。「葉の緑、空の青、波の白」を表す言葉はありませんが、十分に想像できます。絵にもなりそうな歌ですね。
まりりんさんは、藤色の心も纏ったのを作者ととりましたか。それもあり得ます。むしろ、その方が素直な解釈ですね。私が相手の衣だとしたのは、相手もこの歌に登場させたかったからです。