題しらす つらゆき
しきしまのやまとにはあらぬからころもころもへすしてあふよしもかな (697)
敷島の大和にはあらぬ唐衣頃も経ずして逢ふ由もがな
「題知らず 貫之
日本の奈良ではない唐、その唐衣ではないが、頃を経ないで逢う方法があったらなあ。」
「敷島の大和にはあらぬ唐衣」は、「衣」と同音の「頃も」を導く序詞。「(経)ずして」は、打消の助動詞「ず」の連用形。「して」は、接続助詞。「(由)もがな」は、終助詞で願望を表す。
あなたと縁あって契りを交わすことができました。しかし、十二単をめされたあなたが、今では、日本の奈良どころか遙か彼方の中国にいるかのように思えます。十二単が何重もの壁のようにも思えてきます。生身のあなたへの距離を感じます。逢えない時間がつらくてなりません。時を空けないで逢う方法があったらなあと願わずにはいられません。
「敷島」「唐」と恋の背景を広げることで、自分の恋心のスケールの大きさを暗示している。
この歌も、地名を詠み込んでいる。ただし、これまで地名の歌に対抗している。自分の恋する心は日本に留まらず中国にも及ぶほどだと言う。この歌は、序詞を使い滑らかな調べを持つ過不足のない伝統的な歌である。あたかも友則の作を思わせる。友則は『古今和歌集』編纂中に亡くなった。この歌は貫之の友則へのオマージュであろうか。
コメント
前の歌もそうですが、都と旧都、行こうと思えば行けるけれど毎日通うには遠い、絶妙な距離感なのですね。会いたいと思ってもすぐには会えない。この歯痒さをどう例えるか。貴女と触れ合いたい、唐衣は美しいけれど、私と貴女を隔てる。まるで都と旧都の距離が唐にまでにも遠く感じられる程に。「唐衣」で身分差を感じられなくもない。簡単ではない恋なのでしょう。
恋は簡単にいかない方が恋らしい。ここでの障害は「身分差」でしょう。この歌の場合は、樵や地方の女とは違い唐衣(十二単衣)を着る高貴な女。前の歌とはこう繋がるのですね。
二人の間に物理的距離があるわけではなさそうですね。この場合、二人を隔てるものは身分の違いであって、その隔たりの大きさを 日本ー唐 や十二単に例えているのですね。
まあ、京都と奈良ですからね。日本と中国に比べれば近い。物理的距離もない訳じゃないけれど、やはりここは、身分の違いの方が大きいでしょう。山がつの娘に対して、「十二単」を配しました。