《見えない真実》

題しらす むねをかのおほより

ふゆかはのうへはこほれるわれなれやしたになかれてこひわたるらむ (591)

冬河の上は凍れる我なれや下になかれて恋ひ渡るらむ

「題知らず 宗岳大頼
冬の川が上は凍っている私であろうか。なぜ下に流れて(泣かれて)恋い続けるのだろうか。」

「(凍れ)る」は、存続の助動詞「り」の連体形。「(我)なれや」の「なれ」は、断定の助動詞「なり」の已然形。「や」は、終助詞で疑問を表す。ここで切れる。「なかれて」は、「流れて」と「泣かれて」の掛詞。「(渡る)らむ」は、助動詞の終止形で現在の出来事の原因理由の推量を表す。
今の私は、まるで冬の川のようです。冬の川は、水面が凍っていますが、水面下は流れています。それと同様に、私も表面では平気な顔をしていますが、心の中では泣いています。どうしてこんな風にあなたを恋い続けるのでしょうか。
作者は、冬の川のイメージを利用して、今の自分を訴えている。見えているところと見えていないところとは違う、表面だけを見て自分を判断しないでくださいと言う。人はとかく見た目でものを判断しやすい。その欠点を突いて相手を説得しようとしている。どうか自分の真実を見てほしいと。
この歌は、前の歌から季節を冬に転じ、川を題材にした。季節によって目の付け所はいろいろあり、恋の歌の題材はいくらでもあることを示した。ただし、どんなものでも歌の題材になるかと言えば、そうではない。この歌のように歌にふさわしい題材を選ぶことが肝要である。この歌の構造は、「(なれ)や」と疑問を呈して、「(恋ひ渡る)らむ」とその答えを推量する形になっており、歌の姿がすっきりと整っている。編集者はこうした点を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    大きな川では凍ることはないでしょうから、恋煩いの詠み手、庭のお池へ引き込む流れをぼんやり眺めていて歌ったのかしらと想像してしまいました。水面の凍っているのを発見して、あんな流れでも凍る事があるのか、そうだ私もこんな思いで打ち沈んでいると言うのに気付いてもらえない。涙が流れるほどの辛さを隠してまでこんなにも恋してしまうのはなぜだろう?(それは恋する相手があなただから)こんな感じなのでしょうか?
    薄氷のように砕けそうな心、冬の空気と相まって胸の痛みが伝わってきます。

    • 山川 信一 より:

      そうですね、実景を見てのことかも知れませんね。でも、、貴族のことですから、冬川のイメージで言っているような気もします。冬の川ってこんなものでしょって。
      だた、確かに「冬川」「氷」とくれば、「砕けそうな心」「冬の空気」「胸の痛み」は伝わって来ますね。

  2. まりりん より:

    凍てつく冬。川面には氷が張っていて、川の流れが見えない。私の熱く迸る気持ちも、貴女が余りに冷たくするので凍えてしまった。貴女は到底、この気持ちを解ろうとは思って下さらないでしょう。私はこのまま砕けてしまいそうです。。
    冬の寒さと恋人の冷淡を重ねて読んでみました。

    • 山川 信一 より:

      見えないことと存在しないこととは違います。あなたには見えなくても、「私の熱く迸る気持ち」は、氷ることなく流れていますと言っているのでしょう。確かに、冷たくされて作者の表情は凍っているかも知れませんね。心が氷のように砕けそうでもあるのでしょう。

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