うりむゐんのみこの舎利会に山にのはりてかへりけるに、さくらの花のもとにてよめる
僧正へんせう
やまかせにさくらふきまきみたれなむはなのまきれにたちとまるへく (394)
山風に桜吹き撒き乱れなむ花の紛れに立ち止まるべく
「雲林院の親王が舎利会に山に登って帰って来た時に、桜の花の下で詠んだ 僧正遍昭
山風に桜が吹き撒き乱れてほしい。花に紛れて立ち止まるように。」
「(乱れ)なむ」は、願望の終助詞。ここで切れる。以下は倒置になっている。「(立ち止まる)べく」は、推量の助動詞「べし」の連用形。
雲林院の常康親王が仏骨供養の法会のために比叡山に登ってここまで帰ってきた時に、桜の花の下で詠んだ。
山風が桜を吹きまくって、山風に桜が散り乱れてほしいなあ。花で道がわからなくなって親王が立ち止まり、そのままここにお泊まりになるように。
雲林院は、元は淳和天皇の離宮であった。それを常康親王に与え、親王御出家の後は、僧正遍昭が管理していた。その親王が比叡山での舎利会の帰りに立ち寄ったのである。雲林院は桜の名所であり、沢山の桜が植えてある。折しも桜が散る季節であった。比叡山からは、風が吹き下ろしていたのだろう。桜が散り乱れているのに言寄せて、親王に泊まるようにお誘いしているのである。気の利いた挨拶になっている。これなら、親王も気持ちよくお泊まりになったことだろう。
コメント
392番の僧正遍昭の歌もそうでしたが、この歌も上手くお泊まりのお誘いをしていますね。エチケットとして型通りにお誘いするにしても、こんなにさり気無く美しい歌での申し出だったら、相手も「そんな風に言ってくれるのなら」と泊まりやすい事でしょう。
「親王様、比叡へのお参り、さぞお疲れになられた事でしょう。舎利のあるお山から風がおろしてきます。御供養なされたご先祖様が咲き揃った桜を吹き散らすのです。桜吹雪が帰り道を隠すようにと。ここに泊まって休むようにと。どうぞ桜を愛でつつ今宵はお泊まり下さいませ」
こんな感じでしょうか。
いい鑑賞ですね。特に「舎利のあるお山から風がおろしてきます。御供養なされたご先祖様が咲き揃った桜を吹き散らすのです。」が素晴らしい。詞書が生きています。
桜は、盛りで咲きほこっている時は勿論素晴らしいですが、盛りを過ぎて散り際の桜吹雪もまた格別ですよね。山風で散り乱れる桜、命の炎を燃やしているみたいです。その中に、親王が泊まってゆっくり最後の桜を楽しめるように誘っているのですね。
桜は咲いている時も散っている時も更にはうち敷いた時も美しいですね。そんな有様を親王に想像させて、泊まっていただこうとしているのでしょうね。