題しらす よみ人しらす/この歌は、ある人、ならのみかとの御歌なりとなむ申す
たつたかはもみちみたれてなかるめりわたらはにしきなかやたえなむ (283)
竜田川紅葉乱れて流るめり渡らば錦中や絶えなむ
「竜田川は紅葉が乱れて流れているようだ。渡るなら錦は中が絶えてしまうだろうか。」
「流るめり」の「めり」は、視覚推定(ここでは婉曲)の助動詞「めり」の終止形。ここで切れる。「渡らば」の「渡ら」は、四段活用の動詞「渡る」の未然形。「ば」は、仮定条件を表す接続助詞。「中や」の「や」は、係助詞で疑問を表し、係り結びとして働き、文末を連体形にする。「絶えなむ」の「な」は、完了の助動詞「ぬ」の未然形。「む」は推量の助動詞「む」の連体形。
竜田川には様々な色に紅葉した葉が入り交じって流れている。その様子は錦の織物と見紛うばかりである。もし、その川を渡ったら、美しい錦の織物がきっと途切れてしまうに違いない。そうはしたくない程の美しさである。
当時は橋が少なく、川は水の中を歩いて渡っていた。「渡らば」という仮定は、突拍子の無いものではない。作者は何らかの理由で竜田川を渡ろうとしていて、この情景に出会った。様々な色の紅葉が川一面に浮かび、さながら錦のように見える。その美しさに目を奪われる。もし渡れば、この錦を裁ち切ってしまう。それが惜しくて、渡るのがためらわれる。それほどまでに美しいのだ。表現上は、紅葉が錦だとは言っていない。しかし、それでもわかるように表現したところに工夫がある。
コメント
『万葉集への尊敬(2021.04.8)』仮名序に出て来た文にあたる歌ですね。「‥秋の夕べ…」だから目の前で見ていながら暮れ時、光量が少なくなって来て見えにくくなっていたのでしょうか。「紅葉乱れて」で多彩な色と動きを感じさせます。
薄暗さの中にあっても紅葉を纏った、どこまでも美しい流れの景色。暮れていって見えなくなるのならまだしも、それを途中で途切れさせるのが「川を渡る自分」でありたくない。この錦を断ち切りたくない。そんな感情が真っ直ぐに届きます。
仮名序の中に出ていましたね。よく覚えていらっしゃいました。それによると「秋の夕べ」の風景なのですね。それが加わると、また別の趣が出て来ますね。
徒然草が終わり、ちょうど梅の頃でもあり、『国語教室古今和歌集』の頭から読み直していたところだったので気が付きました。歌集、歌をただ纏めただけでなく、全部で一つの作品なのだということを意識させられました。
『古今和歌集』は、完璧な歌集です。紀貫之の並々ならぬ思いが感じられますね。その結果、千年以上も和歌に影響力を持ち続けます。そして、日本人の美意識の基本にさえなっています。貫之は、偉大な仕事をしましたね。